下園さん:ありがとうございます。ただし、本で紹介したパターンは、この通りにしたら解決する、というものではありません。あくまでも、対処法のイメージをふくらませる材料にしてほしいと思っています。
人付き合いは、どんな人にとっても難しいものです。ときには、ウソも方便で、うまくごまかしたりするのも、賢いやり方なんですね。相手を傷つけないで、しかも相手がこれ以上自分に干渉してこないように線を引く技術を身につけるのも、大人の賢い防御法です。
どんな場合も、「自分は楽になっていい」「苦しい相手からは離れてもいい」と思えるような、一つのひらめきにつなげていただければと思います。頑張り屋の人ほど、苦手な人から離れる、ということを「敗北」のように捉えてしまいがちなのですが、自分の心を軽やかにする前向きな選択だと思ってください。
必死に生きているうちに、気づかず誰かに迷惑をかけている
編集部:下園さんは、著書の中で、疲れさせる原因である「一見、いい人」についても分析されています。「一見、いい人」も必死で生きている、という指摘は印象的でした。自分を困らせている相手も、悪気があるわけではなく、社会でなんとか生きていくためのスキルを高めた結果、その生き方を身につけているのだと。これは大切な視点だと思いました。

下園さん:そのこともぜひお伝えしたいと思ったのです。
人間は、“いっぱいいっぱい”になると、対人関係を「敵か味方か」に分けたがるのです。敵に対しては、無意識のうちにさらに邪悪なイメージを付け加えて、「邪悪認定」をする。もしかしたら、自分は相手に邪悪イメージを塗り重ねてはいないか。その場合は、先ほどお話しした「離れる」「寝る」「食べる」で、現実が見えてきます。
この世のすべての人に対して「いい人である」、という人間なんてありえません。銭湯で、一生懸命シャンプーをしているうちに、気づかずに周囲に泡をかけてしまっていた、ということがありますね。必死に生きているうちに気づかずに誰かに迷惑をかけてしまうのが、人間というものです。
幸いにして、私はまだ、「100パーセント悪意で行動している」人と会ったことがありません。もしかしたら、この世の中にはそういう人も存在するのかもしれませんが、感覚としては依然として「人は愛すべき存在」「憎めない存在」です。
もちろん、自分に危害を与える人からはしっかりと距離をとるべきですが、少なくとも「どんな困った人にも、それなりの理由はある。それぞれが生きる上で、必死で築き上げた結果、今のキャラクターや不器用な生き方が形成されているのだ」という目で人を見つめたいな、と思っています。
編集部:それはきっと、不器用な自分を認める上でも大切な視点なのでしょうね。どうもありがとうございました。
(ライター 柳本操、インタビュー写真 菊池くらげ)

[日経Gooday2019年5月17日付記事を再構成]