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糸井重里 友人・みうらじゅんから届いた涙の恩返し 編集委員 小林明

2019/6/7

■我慢して聞いていたカセット、「切れ」と言わなかった理由……

――ミュージシャン志望でもあったみうらさんはオリジナル曲が詰まったカセットを糸井さんに延々と聞かせ続けたようですね。

ファミコンの前でポーズを取る糸井重里さん(右)とみうらじゅんさん。糸井さんは大の巨人ファン

「ええ、あれには参りました。僕が『TOKIO』(沢田研二さんのヒット曲、1980年)を作詞していたので、売り込めば歌手になれると勘違いしたようです。みうらが事務所で勝手にカセットを準備し始めたので、『まあ、いいか』と放っておいたら、『恋に破れた俺よ、おまえと旅に出よう……』なんてよくありがちな曲がずっと流れている。『これは困ったな』と思ったけど、我慢して聞いていました」

――でも「切れ」とは言わなかった。

「はい……。基本的に僕は年下の人間には、あまりひどいことはしないんです。意外に丁寧なんですよ。他の仕事もあるので、迷惑には違いないんだけど、みうらには『少しボリュームを下げれば』と頼んだだけで『切れ』とまでは言わなかった。『まあ、曲が薄く流れているくらいならばいいかな』と思ったんでしょうね」

■「ガロ」漫画家デビューへ口添え、「掲載されれば変わる」

――大学3年(1980年)でみうらさんは雑誌「ガロ」で漫画家デビューします(「単になんぎなうし」)。編集部とのトラブルでお蔵入りになっていた原稿を載せるように口添えしたそうですね。

みうらさんに「高円寺を出ろ」と助言したのは「安楽な地に安住するな」という思いを込めた

「みうらが編集部に『掲載予定の自分の作品が載っていない』と文句を言い、持ち込んだ作品が1年ほどお蔵入りになっていたようです。たしかに当時の作品はいまひとつ突き抜けておらず、当然の扱いだったと思います。ただ一方で、『ガロ』に載る新人作家くらいのレベルには達しているんじゃないかなという思いも多少はあったし、なによりも『掲載されればみうらは変わる』という期待感があった。だから『載せてやったら』と編集部に口添えしたんです。デビューできないままの状態では本人にとってもよくないですから」

――「高円寺のアパートを出ろ」「無精な長髪は切れ」とも助言しましたね。

「すごくもったいないと思ったんですよ。とんでもない誤解の向こう側に何もないということが分かっていたから……。自分の狭いドグマでやるのは表現の個性ではあるけど、全体を包むテーマとしては間違っている。そんな悪循環を断ち切るために『安楽な地に安住するな』と言ったんです。やがて、みうらはコラムニストの泉麻人さんと出会い、原宿の同じマンションに事務所を構えます」

――糸井さんのおかげでメジャーデビュー(講談社『ヤングマガジン』連載、84年)も決まります。

「『僕が原作なら……』というのが連載の条件だったようです。でも、正直言うと、僕には原作を引き受けるほどの余裕がなかったし、みうらが独立するのを邪魔したくもなかった。だから『原作』でなく『相談』でどうかと提案したんです。それなら自由に意見を言うだけで本人に任せられる。連載初回で殺虫剤『ハイアース』のホーロー看板を出せばと助言したのは、雑談していてすごく面白いと思ったから。連載タイトルの『見ぐるしいほど愛されたい』は僕が付けました。『みうららしいものを』と考えながら作ったんですが、なかなか良いコピーだったと思います」

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