平昌五輪パシュート「金」の原点 ある女性選手の転倒スピードスケート、大津広美(1)

北海道十勝地方に位置する河西郡更別村はスケートの盛んな土地で、冬になると子供たちが朝から自分のスケート靴を持参し練習に通う。恵まれた環境下で頭角を表し、高校は同じ河西郡にあるスピードスケートの名門、私立白樺学園に進学する。長野五輪金メダリストの清水宏保、堀井学、女子では島崎京子、自転車で夏、スピードスケートで冬季五輪出場を果たした大菅小百合らスター選手がそろう強豪校だ。ダイナミックなスケーティングを生かして中長距離のオールラウンダーとして活躍し、高校2年だった02年、早くも日本代表に選出されワールドカップ(W杯)に参戦する。

インターハイも制し世界ジュニア選手権に出場を決めるなど、輝かしい戦歴と大きな期待を背負って富士急に入社した逸材は3年後の06年、新種目の女子団体追い抜き(チームパシュート)と1500メートル2種目でトリノ五輪出場をかなえた。五輪前の05年12月、同じトリノで行われたW杯では上り調子の大津の活躍もあって日本は3位に。出場枠を手にする原動力ともなった。

トリノ五輪女子団体追い抜きの準々決勝(左から)田畑真紀、石野枝里子、大津広美(共同)

しかしそれからわずか2カ月で戻ったリンクで、想像もできなかったアクシデントに見舞われる結果となる。

運に助けられ、運に見放される

日本チームは、準々決勝でノルウェーが転倒で失格したため準決勝進出を果たす運に助けられた。冬季競技を常にリードしてきたスピードスケートはこの大会不振にあえぎ、競技開始から5日目までメダルはゼロ。2月16日に行われる女子の団体追い抜きに重圧がかかる。

21歳での初出場だけでも緊張しており、メダルをかけたレース前夜「(メンバーは)大津でいくぞ」と、メンバー入りを告げられた時の気持ちを今も鮮明に覚えているという。

「初めての種目でまだ手探りのような状態でしたし、過緊張していました。名前を呼ばれた瞬間、やった、うれしいと思うより、もしかしたら足に……と先に不安を抱いてしまったんです。オリンピックは何が起きるか分からない、そう言われますし、思ってもいました。でも本当に、しかも自分に何かが、起きるなんて思いませんでした」

しかし嫌な予感ほど的中する。

3位決定戦(上から下へ)田畑真紀(先頭)、石野枝里子と滑走中に転倒し、防護マットに激突する大津広美(共同)

当時ダイチに所属していた元富士急の先輩・田畑真紀、同じ富士急の石野枝里子とのコンビネーションはスムーズだった。銅メダルを争うライバル、ロシアを一時は1秒近くもリードする好ペースを大津は先頭で引っ張り残り約2周、最後の勝負に日本はラップを上げようと試みた。1500メートルに差し掛かった地点で、先頭から最後尾となる3人目の位置に退こうとした瞬間、大津の体が傾き、そのまま尻もちをついた格好でリンクサイドのマットにあおむけで激突した。

レース直後には、涙を流したが、チームメートの激励に顔をあげた。ただ、転倒時にさえ0秒40ほどの大きなリードがあったと知らされると「先頭の交代で焦ってしまったんだと思う。もしかしたら表彰台に立てたかもしれないのに……私の責任です」と、唇をかんだ。ベテラン田畑は、初めて実施された追い抜きの難しさを指摘し、「先頭交代は本当に難しい。私や石野が転んでいてもおかしくなかった」と、10歳下の後輩をかばい4位に下は向かなかった。

転倒がなくても、ロシアに抜かれていたかもしれない。転倒だけがメダルに手をかけながらこぼした原因ではなかったが、それでも、日本の冬季五輪史上に残る「悲劇のシーン」として記憶に刻まれた。同時にメダルなしの惨敗に終わったスピードスケート陣にとって、大津の転倒に多くの問題、課題が象徴されていたのも明らかだった。

個人種目を尊重するあまり、チームで連携を磨く練習時間はなく、当時は実業団同士の垣根を超えた強化を代表として行うのには困難を極めた。実業団の枠を超えたナショナルチームとしての強化、ケガや体調管理、戦略分析など詳細な情報の共有、合宿日程の確保と、多くの課題にオールジャパンで取り組んで12年が経過した18年平昌五輪で、ついに金メダルを獲得した。

高木美帆、佐藤綾乃、高木菜那、菊池彩花が世界を驚かせた一糸乱れぬ精密なコンビネーションも、06年の転倒が強化の原点となり実ったものだ。

仙台市内の自宅で金メダルの瞬間をテレビ観戦していた大津は、12年をかけた悲願達成に心から感激したという。

「普通にテレビで応援していらっしゃったお茶の間の皆さんと全く同じように、ヤッター! と声をあげ、手をたたきました。ただ、ただすごいなぁと」

そう話しながら、目の前で手をたたくしぐさを見せた。

引退してから9年が経つが、トリノ五輪やスピードスケートについて周囲に話をした記憶はないという。リンクから、障害者のスポーツ支援にたどりつく間に、実はもう一つの職業を経験している。

2010年、実業団のトップチームを離れてすぐに向かったのは、日本アルプスの一つ、飛騨山脈がそびえる富山だった。特別なゆかりもスケートとも全く関係なく、「庭師」を目指すために。

=敬称略、続く

(スポーツライター 増島みどり)

大津広美
1984年、北海道更別村生まれ。清水宏保氏(長野五輪で金メダル)らを輩出したスピードスケートの強豪、白樺学園高校で頭角を現し、2年生からワールドカップ(W杯)に出場する。2003年、富士急へ。06年トリノ五輪では1500メートルと団体追い抜き(チームパシュート)で出場を果たす。団体追い抜きは3位決定戦で転倒し、メダルを逃した。アクシデントを引きずり、1500メートルは2分4秒77で33位に終わった。06年、08年の全日本距離別選手権では3000メートルで優勝。09年世界距離別選手権では団体追い抜きのメンバーとして3位に。だが10年のバンクーバー五輪には出場できず、同年引退。自己ベストは1500メートル1分56秒93、3000メートル4分5秒71、5000メートル7分11秒29(いずれも国内歴代20位以内)。引退後は富山で専門学校に通い、庭師になった。私生活では13年に結婚し、現姓は中野。現在、仙台市障害者スポーツ協会に勤め、障害者にスポーツを教えている。
増島みどり
1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大卒。スポーツ紙記者を経て、97年よりフリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」でミズノスポーツライター賞受賞。「In His Times 中田英寿という時代」「名波浩 夢の中まで左足」「ゆだねて束ねる ザッケローニの仕事」など著作多数。「6月の軌跡」から20年後にあたる18年には「日本代表を、生きる。」(文芸春秋)を書いた。法政大スポーツ健康学部講師

「未完のレース」ではこれまで競泳の千葉すずさん、柔道の篠原信一さん、マラソンの土佐礼子さんを取り上げています。こちらも併せてお読みください。

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