野球と東京に破れた青春 学生は自分なりの東京像描け政治学者 姜尚中氏

2019/6/11
■20歳に戻れるなら
思い切って海外へ出れば、アイデンティティーをつかめる

高校を卒業した私は1年浪人して早稲田大学の政治経済学部に入学しましたが、野球への諦めはなかなかつかなかったですね。早稲田を目指した一番の理由も野球。プロがダメでもノンプロならと望みをつないで野球部を訪れてみたら、これがまた大変な人気で、部員が100人を超えていた。テストに受からなければ入部できないと言われ、かすかにくすぶっていた野球への思いは、ここで完全についえました。

熊本から東京へ出てきた私にとって、東京はまぶしすぎました。友だちもあまりできず、引っ込み思案になり、授業にもほとんど出ませんでした。もんもんとした日々を送るなか、大学3年生の夏、思い切って海を渡り、両親のルーツであるソウルに約1カ月滞在しました。日本人でもなく、韓国人でもない、「在日」という自分自身のアイデンティティーにも深く悩んでいたのですが、ソウルのビルから沈んでゆく夕陽を眺めた時、その美しさが東京で見た夕陽の美しさと何ら変わりがないことに気づき、日本も韓国もない、みんな同じなのだ、自分はなぜこんなに悩んできたのだろうと、出自にこだわり続けていた自分がばからしくなりました。

留学時代、仲間たちと

30歳を迎える頃、西ドイツに留学しましたが、いろいろな国からやってきた留学生と出会うなか、その時も同じような感覚を覚えました。日本から出ることで「外部」の視点を持ち、それを通じて自分自身のアイデンティティーをつかみ、政治学者という仕事へとつながっていった。ですから、もしも20歳の頃に戻れるのなら、もっと早くに思い切って海外へ出ろ、と自分自身に言いたいですね。

20歳の頃という意味で、一番行きたかった場所はフランスです。やはり、ボードレールの詩が好きでしたから。「旅への誘い」という、とてもいい詩があるんです。ただし、今の若い人が世界中を旅したら、どこでも大なり小なりの問題を抱えていて、ロマンティズムのかけらもなくなってしまうかもしれません。情報端末を操作したら、なんでも出てきてしまう。あの時代は、知らないからこそロマンチックでいられた。そういう意味では、知らないがゆえの喜びもあったとは思います。

■20歳のあなたへ
自分なりの価値尺度を持たなくてはならない厳しい時代。「人文知」が助けに。

早稲田大学で博士号を取り、政治学者として生きていくことになりました。国際基督教大学や東京大学で多くの学生たちと向き合った後、現在は故郷の熊本で県立劇場の館長を務め、長崎県の鎮西学院で学院長をしています。最近、元号が「平成」から「令和」へと変わりました。私は昭和の生まれですから、令和時代を生きる若者が私の話を聞いても、昭和の人間が明治時代の人の話を聞いているかのようにピンと来ないかもしれない。

学生参加型コミュニティ 登録受付中
メールマガジン登録
Mirai アーカイブズ
学生参加型コミュニティ 登録受付中
メールマガジン登録
Mirai アーカイブズ