野球と東京に破れた青春 学生は自分なりの東京像描け政治学者 姜尚中氏

2019/6/11

20歳の頃

政治学者としてテレビに出演し、国際情勢についての冷静な分析で人気を集める姜尚中氏。子どもの頃は意外にも、野球少年だったという。テレビと変わらぬ穏やかな口調で語った20歳の頃とは──。

■20歳の私
大好きだった野球に挫折し、その後遺症で受験勉強にも身が入らず、文学をむさぼり読んだ。

私は熊本県熊本市に生まれ、小学生の頃はかなりの野球少年でした。九州は当時、野球王国だったんです。西鉄ライオンズがありましたし、後に「打撃の神様」とまでいわれた川上哲治さんも熊本県の出身。当時の子どもたちが野球選手に憧れるのは何も特殊なことではなく、むしろ、ありきたりだったと思います。ただ1点、私がほかの人と違っていたのは、「あわよくばプロになりたい」と思っていたこと。将来、できることなら野球で身を立てたいと思っていました。

ところが17歳、高校2年生の時、ふとしたことから、その夢に挫折してしまいます。理由はいろいろありますが、大きかったのは体形の問題。私は野球向きの体形ではなかったのです。

実際に活躍している選手を間近に見ればわかりますが、プロ野球の選手は体が大きくて、下半身がかなりがっちりしています。足腰をしっかりさせたくて、当時、牛乳をのんだり、肉をたくさん食べたりと、いろいろと試してはみましたけれど、生まれ持った体形というものは、なかなか変わるものではありませんでした。監督からも「打者として大成しない」というようなことを言われて落ち込み、長い憂鬱の日々が始まりました。

野球に明け暮れた生活を送っていましたから、プロになれないとわかったとたん、やりたいことが見つからなくなってしまった。その後遺症が長く続いて受験勉強にも身が入らず、内向的になっていきました。その頃よく読んだのが、受験とはまったく関係のない「世界文学全集」や「日本文学全集」など。詩も好きでした。特に好きだったのはボードレールの「悪の華」。私が好んで読んだのは、鈴木信太郎さん訳です。いわゆる雅文体で、語呂合わせがいい。今でもいくつか暗記しているくらい、好きです。

読書というのは、孤独であっても楽しめますから。時代を超え、自分がタイムマシンに乗って見知らぬ世界をのぞき見たような気分にもなれる。国内初の海外旅行パッケージツアー「ジャルパック」が誕生したのは1964年。日本が国民総生産(GNP)で西ドイツを追い抜いたのが68年。私が青春時代を過ごした時期は、多くの日本人が現状から脱却して山のかなたに憧れを持つ、そういう時代でもあったと思います。