認知症の父との「長いお別れ」 大好きと毎日伝えた
エッセイスト・岸本葉子さん
認知症の父親とその家族が積み重ねた長い日常を、ユーモラスに、そして温かく描いた映画「長いお別れ」(31日公開)。2025年には約700万人が認知症になると予想されており、認知症の人が増えればその分、彼らと向き合う家族の数も増えていく。エッセイストの岸本葉子さん(57)は、認知症の父親を5年間介護し、最期にみとった経験を持つ。配偶者や親の認知症に家族はどう向き合えばいいのか聞いた。
――きょうだいで協力し、自宅で介護していたそうですね。
「85歳だった父は私の家から徒歩10分の住まいに転居し、住民票上は独居。平日夜は兄、昼は姉と姉の息子、週末は私が泊まり込んでの生活でした。母の死後、兄と2人で暮らしていた父が昼に弁当を食べていない、数年間持病の診察を受けに行っていなかったといったことが重なったからです」
「介護保険で手すりをつけたり、リハビリデイサービスを利用したり。後に訪問看護やかかりつけ医の往診を受けました。誤嚥(ごえん)性肺炎と血圧低下で一般病院へ入院した1カ月後、90歳で亡くなりました」
介護5年で「大変さ」の質変わる
――介護は大変でしたか。
「診断は受けていませんが、父はアルツハイマー型認知症の症状。介護を始めて5年で『大変さ』の質が変わりました」
「最初は本人も、支えるこちらも精神的に苦しかった。パジャマで外出したり、夜中にテレビを大音量で見たり。本人が何を分かり、何を分かっていないかが、こちらは分からないから『こんなにお願いしているのに』と混乱しました。一方で本人には自我やプライドがある。いさかいこそなかったけれど、苦しかったです」
「父の体の自由が利かなくなってくると、命を預かる責任が大変でした。誤嚥や排せつのケア、救急車を呼ぶかどうか。子どもを育て上げた姉は『想定外のことが想定内な点が子育てに似ている』と話していました」
――介護にはどう向き合いましたか。
「『痴呆は脳の病気である』と書かれた『痴呆を生きるということ』(小澤勲著)を読みました。私は40歳でがんを患い、がんの治療後は進行するのか、できないことがどんどん増えていくのか、といった不安がありました。がんは治ることもあるけれど、父は治らない病気を生きている。闘病という仕事をし、最後の仕事である死に向かっている。敬意を払って支えようと思いました」
「認知症や高齢者についてよく知らずに介護生活が始まったので、お世話をするための知識が大事だと、本やテレビなど手探りで学びました。食事のペースや体勢などは、誤嚥性肺炎につながる可能性もある。愛情や心ではなく、知識がないと援助にならないと思います」
きょうだいの絆が結び直される機会に
――日々の暮らしで実践していたのは。
「暮らしの中で否定され続けたら、誰でもへこんでしまうと思うので、父を否定しないように、合わせるように心がけました。例えば、『Aさんが日本橋の三越で待っている』と慌てていたら『今から電話をしてあげる』と話し、自分の自宅の留守電に『きょうは行けませんが大丈夫ですか?』とふき込んで芝居をする。そうすると芯からホッとして言わなくなりました」
「日常は、敬意どころか、私はげんなりして仏頂面だったと思います。記憶は残らないけれど、感情の残像は蓄積されていくもの。寝る前にベッドに横になった父を、ニコニコと最大限の笑顔で1分弱見つめて『みんなお父さんが大好きだからここへ来るのよ』と言い続けました。父はうれし泣きのような表情に。1日の記憶の帳消しになれば、と思いました」
――介護生活を振り返って思うことは。
「病院に入院した父は痛がって点滴の針を抜いていました。でも、針を刺す看護師には必ず『ありがとう』と言っていたそうです。看護師は『嫌なことのはずなのに、優しいですね』と。他人と父の話をすることで、ずっと疎遠だと思っていた父の豊かな感情に接することができた」
「一人暮らしの私が人に合わせて生活するという、最大の教育の機会を贈ってもらえ、きょうだいの絆が緩やかに結び直される機会になった。きょうだいと姉の息子とは、あのときはどうだった、と『介護同窓会』で話をしています」
――介護をしている人に伝えたいことは。
「格闘技のような入浴介助を父は我慢していたかも。プロのヘルパーさんがフワッと介助してくれましたが、その方が来ると普段は『うー』としか言わない父が『この人大好き』と。驚きました」
「もっと負担を軽減し、本人にもよりよい介護を提供できていたのではと悔やまれることもあります。高齢者、認知症の人の心身に関する知識を、早くに得るとよいと思います」
(聞き手は生活情報部次長・畑中麻里)
映画「長いお別れ」は全国公開中。中野量太監督、出演は蒼井優、竹内結子、松原智恵子、山崎努ほか。原作者の中島京子さんのインタビューはこちら
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