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お受験服の縫製工場がNY進出 挑むのは最新モード ファッションしらいし 白石正裕社長(下)

2019/6/4

米国、欧州、東北と、忙しく飛び回る日々が続く、ファッションしらいしの白石正裕社長

縫製工場を運営する「ファッションしらいし」(東京・杉並)はアパレルメーカーやファッションブランドから依頼を受けて、実際に服を製造するほか、自らのブランドを立ち上げて、小学校受験の際に親が着る「お受験服」も手掛けている。白石正裕社長はニューヨークやパリを忙しく飛び回る。最近、秋田県大館市にある縫製工場も買い取った。海外に飛び出して、トップデザイナーからの信頼も得た白石氏が実感した、世界との向き合い方や、次世代を育てる、新たな取り組みを聞いた。

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――白石さん自身が洋服に興味を持ったきっかけは?

「父親がもともと縫製工場をしていたんです。一度、外で修業して戻ろうと思っていたのですが、修業先から『お前は変わり者だから、父親の元に戻らない方がいい』とアドバイスされ、1986年にそのまま独立して仕事を始めました。23歳の時です。最初はたった一人。修業先からの外注で仕事をさせてもらい、2年ぐらいした後で、もともと縫製工場だった今の場所を借りて本格的にスタートしました。父親の会社はもうないです」

――海外出張も多いそうですね。

「ニューヨークを拠点に活躍するファッションデザイナー、トム・ブラウンの仕事を手伝っていますから。彼は発表の場を途中、ニューヨークコレクションからパリコレクションに移しています。私はニューヨークへは商談や現地へ派遣している社員のねぎらいを兼ねた手伝いに行き、パリへはランウェイの手伝いに行っています。合計すると年に6回ほど海外へ。約1年半前に秋田県大館市にある縫製工場を買い取りました。そこも、行けば1週間ぐらいはいます」

「最初にアメリカに行ったのは2003年、誘われて展示会に出た時でした。当時はまだ自主企画を始めたばかり。日本では鳴かず飛ばずの商品をニューヨークに持って行ったら、驚くほどバイヤーの反応が良くて売れました。ただし、その時に気づいた。僕ら、ものを作るのは得意ですが、売るのはとても苦手。苦手なものでアウェーに出てしまったことを反省し、次に出て行くときは得意なもので出て行こうと心に決めました」

「得意なものと言えば技術です。最初に行ったのはミラノ。ただし、ミラノではいろいろと思うところがあり、仕事の交渉は取りやめに。それで、ニューヨークへ出て行くことにしたのです」

「ニューヨークへは展示会で一度訪れていましたから、ファッションビジネスをするうえで環境がいいことは知っていました。マンハッタンの中心部にはガーメントディストリクトと呼ばれる地区があり、繊維産業が密集しています。現在はブルックリンへの移転計画も進んでいるようですが、20階建ての古いビルにアパレル関係がすべて入っていて、窓際にパターン(型紙)がぶら下がっていたりします」

「得意な技術で出て行くことを念頭にニューヨークへ行ったのは2009年のこと。ツテをたどって現地の縫製工場を見学。最初のうちは現地の縫製工場へ日本から社員を派遣し、そこのミシンを使って外注という形で仕事をさせてもらいました。ニューヨークコレクションが開かれるのは2月と9月ですから、その前の1月と8月が繁忙期になる。その時期になると、僕らも手伝いに行きながら、少しずつ、向こうの状況を把握していきました」

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