――小中高とラグビーを続けられたのは、何が魅力だったんでしょうか。
「よく言われる言葉ですけど『One for All , All for One(一人はみんなのため、みんなは一人のため)』の精神がすごく好きだった。どんなに痛くても、それを見せないように我慢するし、わざと倒れてファウルを誘うようなプレーもない。トライしたって、その人がユニホームを脱いで踊るなんてことはまったくないですから。サッカーとは違いますよね。飛び抜けてお金を稼ぐようなスター選手が出にくいスポーツだとも思います」
「ニュージーランド(NZ)での仕事で、ある敷地の見学のためにヘリコプターをチャーターしてもらったんですが、操縦していたのがオールブラックス(NZ代表)のキャプテンだったリッチー・マコウさんだった。あれだけのスターが、こんな地道な生活なんだなって思いましたよ」
――競技としてはどこに魅力を感じますか。
「他の団体スポーツでは野球がわりとそうかもしれませんが、ポジションごとにスペシャリストになるのが面白いですよね。それぞれの体格や能力にあったポジションがある。接近戦になればなるほど(主にボール争奪を担う)フォワードにもトライのチャンスが増えて、いつでもバックスが得点するわけじゃないのも魅力的です」
イングランド戦、日本人として誇り
――観戦した中で最も印象に残る試合は。
「日本がイングランドを花園に迎えた試合です(1971年9月24日、日本が19―27で惜敗)。客席がいっぱいだからグラウンドに座って見たんですけど、ウイングだった坂田好弘さんの迫力が印象的でした。すごくいい試合で、選手の体があれだけ大きいイングランドと対等に戦えたのは、日本人として誇りに思いましたね。留学してからも、絶対にアメリカ人には負けたくないという気持ちが僕にはありました」
――デザインに楕円を使った作品も少なくありません。ボールの形状である楕円形に思い入れはありますか。
「僕、楕円はよく使うんですよね。ボールの形とはちょっと違うんですが、(17世紀に活躍した)ベルニーニという建築家が用いた楕円の製図法があって、それを使います。真円には方向性がないけど、楕円になったとたん(軸の向きに)方向性が生まれる。それで建築にいろいろな機能を与えられるわけです」
「昔の革のボールには縫い目があって、それをニードルでほどいて空気を入れ、表面を唾で磨くのが下級生の毎日の仕事でした。大変な作業でしたが、今のゴムのボールとは手触りも全然違うし、自分で手入れをするから愛着もわきましたよね。大切なボールという意識は、プレーにも出ていたと思います。建築と同じで、手間のかかっていない機械的なものに愛は生まれないと思いますけどね」
――建築素材の選び方に通じていませんか。
「僕はエイジングしていく材料が好きなんです。木とか石とか。実は革のボールも時間がたつと少し変形しちゃう。そういう味わいがだんだん出てくるものじゃないと、寂しいですね。建築はデジタル技術が入ったからといって発展することにならない珍しい分野だと思います」
――W杯はどのチームに注目しますか。
「日本代表には前回大会みたいに金星をひとつあげてほしいですよね。次に応援するのは、毎週往復しているフランス。フランスは他の強豪国に比べて体も小さいし、南部でしか盛んじゃないのに、あれだけ強いのは驚きです。(仕事などで)NZとも関係が深いんですが、NZは応援しなくたって強いから」
――親交のある指揮者の小澤征爾さんとラグビーについて話されたことは。
「以前に指揮者と建築家は似ているという話になりましたが、それはラグビーのキャプテンやコーチの役割と同じだなと。いろんなスペシャリストをまとめる。ソリストやスター選手とは違うんですね」
「成城ラグビー部だった小澤さんは成蹊との定期戦で指を骨折してピアニストをあきらめた。だから僕に『おれは成蹊が憎いんだ』とおっしゃるんですけど、僕は『世界のオザワは成蹊ラグビー部のおかけで生まれたんですよ』と言ってるんです」
1957年8月、東京都生まれ。84年米クーパー・ユニオン卒、85年坂茂建築設計を設立。2014年にプリツカー賞、17年にマザー・テレサ社会正義賞と紫綬褒章を受ける。代表作にポンピドゥー・センター・メス(仏)、大分県立美術館など。国連難民高等弁務官事務所のコンサルタントや、内外の災害被災地で仮設避難所などを提供する活動も手掛けてきた。
(聞き手 天野豊文 撮影 五十嵐鉱太郎)
これまでの「W杯だ!ラグビーを語ろう」はこちらです。併せてお読みください。