灘高校から米ハーバード大進学、休学して東北でNPOを立ち上げ、パフォーマンスアーティストとして活動、さらに日本でアート関連のスタートアップを起業したという、きらびやかすぎる経歴を持つ丹原健翔さん。「新しいことをするのはリスクではない」と言ってのける「天才児」は、なぜアートにたどり着いたのか。
もじゃもじゃ頭にヒゲ、そして淡々とした語り口から突如として驚きのエピソードが飛び出す。「幼少期にタスマニアに住んでました」「尿を売るカフェをやろうと思って」。丹原さんをよく知る人物によると、「たまに話が飛んで、『え?』って聞き返すようなことがある。興味があるものに対する行動力がすごい」という。
例えば、関西屈指の名門校、灘高で部活の掛け持ちをしていたというが、その数はなんと10個。模擬国連、英語劇、マジカル同好会、バンド……。「気になると、いてもたってもいられなくなる」性格と自認する。
「灘から東大へ行く人が多いですが、塾に行かないと東大は入れない。でも僕は誰よりも部活を頑張っているという自負があり、勉強しかしない同級生を見下している部分がありましたね。でも模擬試験で彼らが東大A判定で僕がB判定しかとれない、というのが現実。そこで海外受験って課外活動を評価してもらえるんじゃないかと思って、海外大を受験することにしたんです」
そして世界最高峰の大学、ハーバードに進学。ここまで聞くと、ちょっといけ好かないやつだと思うかもしれない。ところが、そんな天才児も大学2年生で壁にぶつかった。そして突然、休学という選択をとる。
論理を超えるアートの魅力にとりつかれる
ハーバード大学内のある研究所で手伝いをしていた当時、女性上司がコロンビア大の准教授になるということで祝賀パーティーが開かれた。そのときに彼女が満を持して発表した研究発表が「シャネルやグッチなど高級ブランドの店に半ズボンTシャツ短パンサンダルで行くと、逆にすごい人だと思われる」というような内容だったという。
「まあネタとしては面白いのですが、そのアイデアが出てから発表まで、8年もかけてるんですよね。人生の10分の1ぐらいの時間をかけてその内容って……。スケール感と発表内容のあまりのギャップに絶望してしまいました」
大学に入ってからあまり成長していない自分を変えるためにも実践の場がほしい――。そう思ったとき、目に留まったのが、東日本大震災の復興支援ボランティアの求人だった。震災から1年経過した2012年のことだ。東北で今後は心のケアが必要になってきているという話を聞き、ハーバードで学んだ心理学を実践できるかもしれないと思い立った。