新潟県最古の蔵が挑む「ファンづくり」 長岡・吉乃川
ぶらり日本酒蔵めぐり(11)
酒蔵数全国一の新潟県で、現存する89蔵のうち最も長く歴史を刻むのが吉乃川(新潟県長岡市)だ。長岡藩の藩祖、牧野忠成が長岡城主となった1618年より70年さかのぼる1548年に創業した。古くから伝わる井戸を守り、自前で栽培するコメを原料に、うま味の際立つ伝統の味を醸し出す。一方で消費者のし好の変化を反映した商品開発は自由奔放だ。
4月20日に催した「吉乃川蔵開き2019」には約3000人の日本酒好きが参加した。今年は初めて、「久保田」で知られる朝日酒造など長岡市内の近隣4蔵が蔵開きイベントを合同開催し、前年の1.5倍の人出となった。メインの試飲会場「常倉」では大吟醸「吉乃川」や「厳選辛口 吉乃川」をはじめとする代表銘柄のほか、市場には流通させない蔵出しの無濾過(ろか)生原酒、発売したばかりの夏季限定商品も登場し、客の関心をひいた。
ふだんは資料館として酒づくりのための古い道具などを展示している「瓢亭(ひさごてい)」では、ビン詰めしたまま熟成させた「熟成古酒」を飲み比べられるコーナーがしつらえられ、過去15年以上のビンテージをほぼすべて試せるようになっていた。
新潟の酒は原料米に五百万石を多く使うこともあり、「淡麗辛口」が通り相場。「吉乃川」も淡麗ではあるが、ひと味違う。後味は切れるが、口に含んだ瞬間のまろやかさが印象的で、淡麗の一言では片付けられない複雑さがある。社長の峰政祐己さんは「うちの酒は淡麗うま口と言えるかもしれません。水の特徴を反映しているのだと思います」と説明する。
仕込み水に使うのは代々守ってきた3本の井戸の水、「天下甘露泉」だ。井戸の深さは10メートルと浅い。蔵の東側にそびえる東山連峰の雪解け水と、西側を流れる信濃川の伏流水が交わる水脈はミネラル分の少ない、やや軟水という酒造りに適した水を蔵に与え、吉乃川の味わいを育ててきた。水と味わいの相関を証明するのは容易ではないが、銘酒のゆえんを語る一要素ではある。
ちなみに、井戸水に「天下甘露泉」という名を与えたのは清水寺(京都市)で貫主を務めた大西良慶氏だという。1945年8月の長岡空襲の後、大西氏が長岡市を訪れた際、吉乃川の創業家である川上家が投宿地を提供したのを契機に、清水寺との結びつきが強まったそうだ。いま醸造の中心となっている建物「真浩蔵」には森清範貫主の書が掲げられている。
水とともに、コメへのこだわりも強い。全量、新潟県産米を使い、自前で栽培するコメも10%程度を占めるまでになった。コメ作りに取り組む伏線は、本業が農業の蔵人(くらびと、季節雇用の醸造スタッフ)が栽培したコメを使い始めたことだった。「15年ほど前から、蔵人さんが作付けした越淡麗(五百万石と山田錦を交配した酒造好適米品種)を使っていました」
転機となったのは2016年。蔵人たちや農家と吉乃川農産という株式会社を関係会社として設立、本格的にコメ作りに参入した。「コメ農家はどこも後継者問題を抱えています。長期にわたる原料米の安定的確保を考えて会社を作りました」。社員は60代と20代が数人ずつ、合わせて6人が27ヘクタールで五百万石やコシヒカリを栽培する。コメ栽培の技術継承の場にもなっている。
「それだけではおもしろくないので、前例のないことにも挑戦しました」。それが山田錦の栽培だ。山田錦は大吟醸の醸造には好適な酒米で、新酒鑑評会の出品酒の多くは原料に兵庫県産山田錦を使っている。ただ、栽培の北限が福島県とされる。晩稲(おくて)の品種で収穫期が10月下旬にも及ぶので、晩秋に霜が降りる寒冷地では育てにくい品種だ。
「最初は2反歩(約2000平方メートル)だけ、お試しで作付けしました。それでも無事、収穫できました。地球温暖化のせいで栽培の北限も北上しているのでしょう」。まずは全量山田錦を原料とした特別純米酒を5月20に発売した。「生産米の質をさらに向上させて、いずれは吉乃川農産の山田錦で純米大吟醸を造りたいですね」
峰政さんは46歳。15年前に吉乃川に入社した。もともとマーケティング会社に在籍していて、吉乃川は担当クライアントだった。そうした経歴からか、自由な発想で商品を企画する。社内でも活発な意見が飛び交うのを抑えないようだ。定番商品と企画商品のギャップが吉乃川の魅力でもある。
2018年、「長岡開府400年」を記念して企画した新商品「雪雫華(ゆきしずか)」を、今年も夏季限定商品として4月に発売した。新潟県醸造試験場が自然界から分離した「雪椿酵母」を使用したところ「酸味が強く出てたいへん個性的な仕上がりでした」。400年前の味わいを再現する狙いだったという。「今年は甘みと酸味のバランスを少し修正しました」
今春の季節商品は2月発売の「春ふわり」。ピンクのビンに詰まった酒は日本酒度が-10,酸度が1.4。「4段仕込みで甘みを出すようにしました」。日本酒度がマイナスで酸度も低いだけあって、しっかりと甘みを感じさせる。リキュール感覚で洋食や揚げ物に合わせられる。日本酒を飲み慣れていない女性層にアピールできる商品だ。
もともと倉庫として使っていて、蔵開きでは試飲会場だった建物「常倉」はいま、リニューアル工事のただ中にある。今年10月5日、装いを新たに『醸蔵』としてオープンする予定だという。「単なる直売所にはしません。ファンの集う拠点、情報発信基地にしたい。いろいろなアイデアを整理しているところです」
「例えば長岡地域への来訪者が立ち寄れる観光施設として、あるいは子供たちが夏休みの自由研究に使えるような企画展示など、吉乃川とのつながりの出発点にしたい」という。地元の食文化の紹介などを通じて、地域振興への貢献も目指す。来春には地ビールの醸造プラントを稼働させる計画だ。
吉乃川は年間生産量が1万石(1升ビンで100万本)強。中規模の酒蔵ならではの強みと弱点を冷静に見極める。「流通量が少なくないだけにターゲット層の顔が見えにくいのが問題。一方で特別なシーンだけでなく、消費者の日常生活に溶け込んで存在感を示せる潜在力はあります」。量販店や業務用販路の充実が両刃の剣となるか、飛躍の礎とできるか。「吉乃川モデル」を築く好機に差しかかっているのかもしれない。
ファンづくり。峰政さんの描く成長戦略のキーワードだ。「コンシューマーからカスタマー、さらにファンへと、関係を強めることでターゲット層と向き合えるようになりたい」と力を込める。SNS(交流サイト)も販促ツールとしてではなく、ファンと吉乃川が一緒に集える広場の機能にしたいようだ。リニューアル後の「醸蔵」もまた、ファンとのコミュニケーションの場として期待を背負う。
JR長岡駅からタクシーで10分程度。吉乃川のある長岡市摂田屋地区は「越のむらさき」などのみそ・しょうゆの醸造蔵、サフランのリキュール「機那サフラン酒」の旧蔵元の建物が並ぶ醸造の町。古い建造物、文化財が現存していて、散策しても楽しい一帯となっている。
(アリシス 長田正)
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