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ブラックホール撮影の陰に日本の技術 山根一眞氏語る 『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』著者

2019/5/23

EHTチームは、その理論によって地球サイズの望遠鏡(=合成開口法による干渉計)でブラックホールの観測に挑んだのだ。

■66台中16台が日本製アンテナ

「アルマ」は日米欧をコアとする国際協力プロジェクトとして完成した電波望遠鏡群で、パラボラアンテナ66台からなる。これによって、人類史上最大の宇宙を見る「眼」が実現した。建設地は南米のチリ、アンデス山脈の海抜5000m。日本は16台のアンテナの製造を担当した。

チリ、アンデス山脈の海抜5000mに並ぶ「アルマ」望遠鏡。右端が取材中の筆者(写真・日経BPコンサルティング)
『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』山根一眞著(日経BPコンサルティング)

こんな凄いものをよくぞ人類は、いや、日本の天文学者たちは、岡山の町工場のオヤジたちは作ったものだと驚き、感動した私は長い取材を続け、2017年7月、ノンフィクション作品『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』(日経BPコンサルティング)を出版した。

私も参列した「アルマ」の開所式は2013年4月だったが、あれから6年。ブラックホールの画像ゲット成功は、私の期待をはるかに上回る成果だった。

『スーパー望遠鏡「アルマ」の……』の出版からやがて2年になるが、私にとってはこの40年間で最大の作品だ。そのため、常にその一冊をカバンに入れて持ち歩いてきた。ブラックホール画像の発表があった深夜、私はその大事な一冊を取り出し、頬ずりをしながら「アルマ、ありがとうね」と語りかけた。それだけではおさまらず、「アルマ」の本拠地、チリに出張中だった国立天文台副台長で2008年から2018年まで東アジア・アルマ・プロジェクトマネージャを務めた井口聖さんと、メールを介してブラックホール観測成功と「アルマ」の役割について、明け方まで語りあったのだった。

■中学生でもわかるわくわくする物語に

私の「アルマ」本は、科学書や技術書としてではなく、中学生でもわかるわくわくする物語に書くことを目指した(文科系出身である私の使命はそこにある)。以前、同じ思いで書いた『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(マガジンハウス)はベストセラーとなり、東映で渡辺謙さん主演で映画化された。「アルマ」もあの「はやぶさ本」のように描こう、と。

だが、「アルマ」の全貌を描くことの難しさを味わうことになる。

「アルマ」は計画から完成まで30年という大プロジェクトで、それをたった一人で取材をしようというのはあまりにも無謀だった。

「アルマ」のパラボラアンテナの鏡面は誤差200分の1mmという精度がもとめられたが、岡山市の社員数11名の町工場、オオタがその実現不可能な切削加工をなしとげた(写真・山根一眞)

やっと執筆を開始したのは2012年だったが、執筆と並行し2回の南米取材を含めて日本全国津々浦々に関係者を訪ねるインタビューは100人におよんだ。2007年まで「アルマ」推進室長をつとめた石黒正人さん(現・国立天文台名誉教授)の取材は約18時間。それでもまったく不十分だった。

収集した資料も数千ページになったが、それでも情報不足でまた取材に出る、ということを繰り返した。出版予定日を何度も更新、「まだか」と待たれている読者にお詫びの手紙を書いたこともある。原稿は、何とも難解な「アルマ」をわくわくする物語として描くために、30回は書き直したと思う。その甲斐あって、世に送り出した同書は、多くの読者の皆さんから感動したという声をいただくことができた。

開所式から1年半後の2014年11月、「アルマ」は太陽系の誕生時を彷彿とさせる惑星誕生の現場(おうし座HL星)の撮影に成功し、世界を驚かせた。それは、後のブラックホールの観測につながる大成果だった(写真・ALMA<ESO/NAOJ/NRAO>)

出版が遅れに遅れてしまったストレスから、2014年には突然、両耳がひどい難聴に陥り、失われた聴覚が戻ることはなかった。「アルマ」本は、まさに身を削って世に出したノンフィクション作品なのである(もっとも、おかげで歴代米国大統領がひそかに装着していたのと同じ世界最高性能のデジタル補聴器、スターキー社製を装着、むしろそれを楽しんでいるが)。

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