井浦新 気持ちはずっと不器用な新人のまま
恋する映画 『嵐電』幻想的に交錯する3つの恋愛
人気観光地の京都で、通称「嵐電(らんでん)」と呼ばれて親しまれているのが、四条大宮、嵐山、北野白梅町を結ぶ路面電車「京福電気鉄道(京福電鉄)嵐山線」。映画『嵐電』では、嵐電が走る線路のそばに部屋を借り、嵐電にまつわる不思議な話について取材するノンフィクション作家平岡衛星の姿を通して、幻想的に交錯する3つの恋愛が描かれる。本作で主演を務めた井浦新さんに、撮影の裏話や京都のお気に入りのスポットなどについて聞いた。
井浦さんがオススメする京都のスポットとは?
――映画のみならずドラマやCM、最近ではNHK連続テレビ小説『なつぞら』でも活躍されている井浦新さんですが、美術を紹介するNHKの「日曜美術館」では長らくキャスターも務めてこられました。京都にはいろいろと思い入れがあるのではないでしょうか?
井浦新さん(以下、井浦):実は役者として京都で仕事をするのは初めてなんです。ただプライベートでは、いままでの44年間のなかで一番訪れている観光地は京都です。カメラを持っての撮影や旅する場所として、ほかに比べると明らかに多いと思います。
京都には西院(さいいん)という阪急電鉄の駅もありますが、今回の撮影で僕がベースにしていたのは同じ西院と書いて「さい」と読む京福電鉄嵐山線(嵐電)の駅です。特に名所があるわけではないですが、嵐電の車庫があるくらい駅前は開けたにぎやかなところなので、撮影期間中はその周辺をウロウロしたり、晩ご飯を食べに知らないお店に飛びこんでみたり、本当に楽しかったです。
しかも、日本の歴史や文化が大好きな僕が観光地ではない住宅地にいるという妙な違和感が僕にとっては初めてでした。「京都にいるのに何もしていない」というのが、逆におもしろかったです。
――嵐電沿線で印象的なところがあれば教えてください。
井浦:嵐電で京都っぽいと感じたのは、帷子ノ辻(かたびらのつじ)。撮影所の横を歩いていくと、普通の住宅街が広がっているんですが、そこに行くと蛇塚という巨石が積み上げられた古墳が突然あるんです。古代以降と現代が隣り合わせにある異空間が京都らしいなと。
そこで水まきをしているおじさんにとっては日常なので、蛇塚に対して当たり前の距離感なんですが、その慣れた雰囲気もいいなと思いました。
――井浦さんは土偶やお面集めが趣味ということですが、今回新たにコレクションに加わったものはありますか?
井浦:そういったものより、御朱印は増えていきました。あと、コレクションではないですが、嵐電沿線を散歩しているなかで、地元の人が通い続けているようなギョーザ屋さんとか、創業何十年みたいな日本の昔ながらのパン屋さんに出合えたのはすごくよかったです。
――美術にも造詣が深い井浦さんにとって、美術的な観点でお気に入りの場所はありますか?
井浦:京都のお寺や神社に行けばそこには必ず美や歴史を感じるものが存在し、古くから生まれてきた文化があるので、そういう場所はいっぱいありすぎます(笑)。実際、京都ではお寺と神社はコンビニエンスストアよりもはるかに多いですから……。
ということで、京都の美を総合的に楽しめる場所として挙げるなら京都国立博物館。ここでは、作品が傷むのを防ぎ、修復して保存することができるからです。好きな場所には何回でも行きたくなるものですが、そういうところを訪れたあとの締めに京都国立博物館にも行けたら、お腹いっぱいになります(笑)。
――思わず何度でも訪れてしまう場所のなかでオススメがあれば教えてください。
井浦:個人的に好きなのは、清水のほうにある河井寛次郎記念館。ここはいつ行っても、クリエーションを刺激してくれるすてきな場所です。河井寛次郎というのは、陶芸家であり、民芸運動のなかにいたひとり。彼がどういう生活をしていたのかを体感することができますが、ここに行かないと出会えないので、いつでも行きたくなるんです。
京都国立博物館も河井寛次郎記念館も嵐電沿線からは離れますが、川のあちら側とこちら側で文化や街の成り立ちが変わるので、京都は不思議なところだなと改めて感じています。
生きている限り旅を続けていきたい
――作品に関して少し詳しくお聞かせください。作品は、鎌倉から京都に降り立ったノンフィクション作家の平岡衛星が、嵐電が走る線路のそばに部屋を借り、嵐電にまつわる不思議な話についての取材を始めるというものですね。今回、平岡衛星という役にキャスティングされた際には、どう思われましたか?
井浦:鈴木卓爾監督は、役と僕のなかに重なるところを見て選んでくださったのかなと感じました。というのも、衛星は旅をしながら不思議な話を拾い集めていく作家という設定でしたが、僕も「生きている限り、芝居をしながら旅を続けられたらいいな」と思っているからです。
そんな風に共感するところもあったので、衣装に関しても、手帳とペン以外すべて私物。役に対して物理的に自分が投影されている部分もありました。あと、アパートのシーンでは、バックパッカーで旅をする普段の僕がテントのなかで過ごしているような雰囲気も出ていたかなと思います。
――井浦さんは衛星をどのような人物像として捉えていましたか?
井浦:「衛星は鈴木卓爾監督なんだろうな」と思って演じていました。というのも、最初に脚本を読んだときに感じたのは、10代で大切なものを手に入れようとする若い生命のきらめき。そして、情熱がほとばしる20代と大切なものを失って死の向こうにある生をさまよい続ける40代の姿が描かれていると思ったからです。
そこはおそらく監督がしたかった、もしくはしてきたことをそれぞれの世代の役者たちに分け与えて演じさせているので、衛星は40代の頃の監督になるんじゃないかなと感じました。
――そのうえで、監督とはどのようなやりとりがありましたか?
井浦:「この作品は監督の遺書のようにも感じるんですが……」とご本人に言ったこともありました。監督はドキッとされていたようですが、遺書といっても生きることを諦めたり、挫折したりしたときのものではなく、その真逆でいままでの人生を肯定し、覚悟する決意表明のようなものです。
この作品では京都という異界の地で、「生と死」や「あの世とこの世」「夢とうつつ」といったさまざまな境界線が張り巡らされていますが、監督はここに自分のすべてを素直に表したんだと思います。
――『嵐電』には恋愛映画の側面もありますが、そのあたりはどう受け止めましたか?
井浦:監督はすごくシャイな方なので、恋愛映画をこんなに真正面から作るのは恥ずかしかったんじゃないかなとも感じました(笑)。
見る人の状態や境遇によっては、静かに感じるかもしれないし、嵐のようにうごめくこともあるだろうし、命のきらめきがはじけ飛ぶようなエネルギーが生まれることもあるかもしれません。でも、本当にいろんな人の心に届く素直で優しい作品だなと思っています。
命は限られているから無駄にしたくない
――プライベートな話も少しお聞かせください。多忙な生活のなかでどのように過ごしてリラックスしていますか?
井浦:休みがあったら、山や外に出かけることが多いです。家で過ごすとしても、ボーっとしたり、一日中寝てしまったりしたくないので、本を読んだりしています。時間を持て余していた昔の方が「何もしないってぜいたくだな」と思って過ごしていましたが、そういう自分が嫌だったので、変わりました。
――そんな風に変わったきっかけは何ですか?
井浦:別に休むことは悪いことではないですが、自分の命は限られているものですから。死に近づいているのをかみしめる瞬間もあるので、「怠けていたくない」「無駄にしたくない」という気持ちがあります。
――最後に、俳優デビューから20年が過ぎましたが、振り返ってみた心境と今後へかける思いについて教えてください。
井浦:数字にしてみると「20年も?」と思うんですが、自分のなかではあっという間だなと感じています。しかも、まだ僕にはいろんなものが足りないので、キャリアや年齢でいえばいい中堅のはずなのに、気持ちはずっと不器用な新人のまま。時間だけが過ぎているような気がしています。
でも、そこにはご縁をいただいて出会ってきた人たちや一緒に映画を学んで作ってきた人たち、さらに教えてもらった人たちが確かに僕の記憶のなかにはいるので、これからの20年も同じように時間を費やしていきたいです。そして、自分が信じてやってきた映画づくりの現場での関わり合い方を20年後もちゃんと続けていられるようにしたいというのが、僕にとって一番大事なことだと思っています。
監督:鈴木卓爾
出演:井浦 新、大西礼芳、安部聡子、金井浩人、窪瀬 環、石田健太、福本純里、水上竜士ほか
配給・宣伝:ミグラントバーズ、マジックアワー
5月24日(金)よりテアトル新宿、京都シネマほか全国順次公開
【ストーリー】
鎌倉から京都に降り立ったノンフィクション作家の平岡衛星は、嵐電が走る線路のそばに部屋を借り、嵐電にまつわる不思議な話についての取材を始める。そこには、衛星がかつて妻と経験した出来事を呼び覚ます目的があった。一方、青森から修学旅行でやってきた女子学生の北門南天は地元の少年に恋をする。さらに同じ頃、太秦撮影所近くにあるカフェで働く小倉嘉子も、東京から撮影で来ていた俳優に引かれ始めてしまう。嵐電の街で、3組の男女の恋が進もうとしていた……。
(ライター 志村昌美、写真 武田光司)
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