井浦新 気持ちはずっと不器用な新人のまま恋する映画 『嵐電』幻想的に交錯する3つの恋愛

生きている限り旅を続けていきたい

――作品に関して少し詳しくお聞かせください。作品は、鎌倉から京都に降り立ったノンフィクション作家の平岡衛星が、嵐電が走る線路のそばに部屋を借り、嵐電にまつわる不思議な話についての取材を始めるというものですね。今回、平岡衛星という役にキャスティングされた際には、どう思われましたか?

井浦:鈴木卓爾監督は、役と僕のなかに重なるところを見て選んでくださったのかなと感じました。というのも、衛星は旅をしながら不思議な話を拾い集めていく作家という設定でしたが、僕も「生きている限り、芝居をしながら旅を続けられたらいいな」と思っているからです。

そんな風に共感するところもあったので、衣装に関しても、手帳とペン以外すべて私物。役に対して物理的に自分が投影されている部分もありました。あと、アパートのシーンでは、バックパッカーで旅をする普段の僕がテントのなかで過ごしているような雰囲気も出ていたかなと思います。

――井浦さんは衛星をどのような人物像として捉えていましたか?

井浦:「衛星は鈴木卓爾監督なんだろうな」と思って演じていました。というのも、最初に脚本を読んだときに感じたのは、10代で大切なものを手に入れようとする若い生命のきらめき。そして、情熱がほとばしる20代と大切なものを失って死の向こうにある生をさまよい続ける40代の姿が描かれていると思ったからです。

そこはおそらく監督がしたかった、もしくはしてきたことをそれぞれの世代の役者たちに分け与えて演じさせているので、衛星は40代の頃の監督になるんじゃないかなと感じました。

――そのうえで、監督とはどのようなやりとりがありましたか?

井浦:「この作品は監督の遺書のようにも感じるんですが……」とご本人に言ったこともありました。監督はドキッとされていたようですが、遺書といっても生きることを諦めたり、挫折したりしたときのものではなく、その真逆でいままでの人生を肯定し、覚悟する決意表明のようなものです。

この作品では京都という異界の地で、「生と死」や「あの世とこの世」「夢とうつつ」といったさまざまな境界線が張り巡らされていますが、監督はここに自分のすべてを素直に表したんだと思います。

――『嵐電』には恋愛映画の側面もありますが、そのあたりはどう受け止めましたか?

井浦:監督はすごくシャイな方なので、恋愛映画をこんなに真正面から作るのは恥ずかしかったんじゃないかなとも感じました(笑)。

見る人の状態や境遇によっては、静かに感じるかもしれないし、嵐のようにうごめくこともあるだろうし、命のきらめきがはじけ飛ぶようなエネルギーが生まれることもあるかもしれません。でも、本当にいろんな人の心に届く素直で優しい作品だなと思っています。

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命は限られているから無駄にしたくない