水産物禁輸で逆転敗訴 日韓の利害超えた大国の思惑も
4月11日、世界貿易機関(WTO)は福島など8県の水産物に対する韓国の輸入禁止措置を事実上認める判断を下しました。東京電力福島第1原子力発電所の事故後、日本と韓国は禁輸措置を巡り約6年間WTOの法廷などで争ってきました。WTOは2018年2月にいったん韓国の措置を違反としましたが、今回は判断を覆しました。
WTOで、日本の裁判所の一審にあたる「パネル」の判断を二審の「上級委員会」が覆すのは異例とされています。韓国は水産物禁輸を当面続ける見通しです。
政府は5月に入り、WTOの体制が今回の判断に影響を与えたなどとする説明を始めました。どういうことでしょうか。
日韓の一つの大きな争点は「年間1ミリシーベルト以下」という放射線の被ばく量についてでした。日本は、一般人の健康を守るため国際的に求められる1ミリシーベルト基準を満たす食品の輸入も認めない韓国の措置について、貿易を不当に制限しているとして訴えていたのです。
一審パネルは日本の主張を認めましたが、上級委は逆に退けました。理由は、韓国が「1ミリシーベルト以外にも複合的な基準を設けている」というものです。確かに韓国の基準には、放射能を年1ミリシーベルト以下にするほか「放射能汚染をできるだけ最低に維持する」などとも書いてあります。
上智大の川瀬剛志教授(国際経済法)は「複合的な基準の詳細を韓国も上級委も明確に示さなかった」と問題視しています。1ミリシーベルトなど明確な数値基準がなければ、食品の安全検査はできそうにありません。なぜWTOは曖昧な判断を下したのでしょうか。
川瀬氏は「米国の懸念を反映した可能性がある」と分析します。米国は、WTO加盟国が貿易を規制する主権に、上級委が立ち入るような判断を下すことに批判的でした。川瀬氏は「上級委は米国の意向をくんだ可能性がある」とみています。超大国の思惑は韓国に有利に働いたのかもしれません。
放射性物質と食の問題に詳しい元高裁判事の中島肇弁護士は、WTOが「放射線のように将来予測の難しいリスクは、明確な基準の有無を問わず予防すべきだとの考え方をとった可能性がある」と話しています。1ミリシーベルトという基準に依拠し法廷闘争を進めた日本に不利に働いた可能性があります。
福島県産の冷凍水産物の輸出量は、18年度に2845トンと事故前の08年度以来の高水準でした。被災地の食品輸出が盛り上がった直後のつまずきは取り返しがつきませんが、再度同じ轍(てつ)を踏まないようにしてもらいたいものです。
川瀬剛志・上智大学教授「国際法に詳しい人材の育成を」
今回のWTO上級委員会の判断について、国際法に詳しい上智大の川瀬剛志教授に聞きました。
――上級委員会の判断のポイントは何でしたか。
「WTOは国家間の貿易紛争を解決する際、基本的には通商の自由を尊重する立場だ。しかし食の安全と衛生に関わる問題となると、過去にも自由貿易を制限するような慎重な判断を下してきた経緯がある。今回も放射線という食品衛生にとって微妙な問題であるだけに、慎重な立場をとった可能性がある」
「もう1つ、上級委が意識していたと考えられるのが、米国による『オーバーリーチ論』と呼ばれる批判だ。日本語では『(上級委の)出しゃばり論』という言い方が当てはまるが、米国は上級委がWTO加盟国に対し、貿易規制をとる権限を抑止するような出しゃばった判断を下すことを批判してきた。上級委はこうした批判も意識し、放射線の安全性という大きな問題について、明確な立場を示さなかった可能性がある。放射線被ばくについて年1ミリシーベルトという明確な基準を示した、日本にとって不利になったかもしれない」
――日本政府に落ち度はなかったのでしょうか。
「WTOの問題については日本政府も意識して法廷闘争に臨んだと思われるし、論点を選ぶ際にも大きなミスがあったとは思えない。しかし2点、指摘したい。まず一審パネルの段階で、日本政府側は今後、当事者国の関係者ら一部しか閲覧できない判決の下書きを詳細にチェックする必要がある。上級委の微妙な立場に対し、自らの主張がはっきり反映されたのかどうかを確かめるためだ。2つ目に上級委で判断が覆る際には、当事者国は『判断の完遂』といって、上級委に対して明確な判断を下すよう求めることができる。日本政府は権利を行使しなかった。自らの主張の何が受け入れられ、何が受け入れられなかったかを検証する機会を失った」
――教訓は何でしょう。
「国際的な訴訟に関われる人材を育成することに尽きる。教育現場では最近の司法制度改革により、国際法などを学ぶ場が少なくなっている。改革はグローバル化の時代に逆行していると思う。通商交渉を担う省庁でも、民間の弁護士事務所などと共に最新の国際訴訟に関わる知識を養うなど、官民を挙げて力を蓄積する必要がある。韓国は日本より国内市場が小さい分、通商問題への危機感が強い。米国のロースクールで学ばせるにしても、韓国の方が日本より人材を長く派遣しているという肌感覚を持っている」
(高橋元気)
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