2019/5/24

■営業代理店に勤務したが「営業が嫌いだった」

社会人としてのスタートはアロマセラピスト。「香りに興味があったから」という理由でなった。21歳で出産。その後、シングルマザーとなった。「とにかくお金を稼がなければ」と、当時住んでいた関西でOA機器の営業代理店に勤めることにした。

介護事業所への営業が多い企業だったので「認知症予防にもなるといわれているアロマを活用して、空間ビジネスをやるのはどうか」と提案。するとその事業を任されることになった。早速新規事業を立ち上げ、営業活動を始めようとしたが、問題があった。流郷さんは「営業が嫌いだった」のだ。

「電話をかけようとすると受話器を持つ手が震えてしまう。自分から話を持っていくのがとにかく嫌だった。自分からアポを取らなくても、先方から話が来る方法がないかと考えました」

生活のために営業代理店に入社したが、営業は苦手だったという

そこで思い付いたのがPRだった。自社の情報を世間に広めれば、営業をしなくても注文が入るはず。そう考えて、社長に頼み込み、2日間のPRセミナーに通った。そこで基礎をたたき込み、PRの世界に飛び込んだ。

「そのセミナーで知り合った人を頼りに、『今はやっている香りビジネス』という企画書を新聞社に持ち込むと、運よく取り上げてもらえたんです。狙い通り、営業をしなくても問い合わせが来るようになりました」

苦手な営業に四苦八苦するのではなく、PRという新しい打開策で解決。そしてこの時だけでなく、その後も、流郷さんは独自の発想でチャンスをつかんでいく。

フリーランスで15社の広報業務を担当

PRの仕事にやりがいを感じ、採用活動を支援する企業に転職。さまざまなイベントを立ち上げ、メディアに取り上げられるように仕向けていった。好評だったのが、大学生と企業の採用担当者が膝をつき合わせ、腹を割って話す座談会だ。大学生や企業からも喜ばれ、メディアでも頻繁に紹介された。

だが、この企業は東京に進出するという話になり、「実家がある関西で子育てをすることにしていた」流郷さんは退職を決意。転職先を探していたところ、社外の交流会で知り合った2社の経営者から「広報担当者として働いてほしい」と引き合いがあった。どちらの会社で働くか悩んだ流郷さんが出した答えは、「フリーランスで2社とも引き受ける」というものだった。「どちらの会社も魅力的で決めきれなくて。二つの収入源を持つとことは生活の安定につながるとも考えました」

フリーランスとなってからも、情報発信には工夫を凝らした。ただニュースリリースを配信するだけでなく、「業界の情報を一緒に添えたり、他社の情報を盛り込んだ企画を作成したりして、マスコミ各社に提案していきました」。こうして実績を出していた流郷さんの元には、手腕を聞きつけた企業から次々と仕事が舞い込んでくるようになる。気付けば15社近くの広報を担当していた。

「母にも家事や育児などを手伝ってもらいながら、複数社の広報業を続けましたがさすがに限界を感じました」。少しずつ担当する会社を絞り込んでいたところ、出合ったのがムスカだった。

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「最速でCEOの座から離れる」ことが目標