食糧危機をハエで救う 29歳「暫定」CEOの挑戦
食料危機を救うともいわれるハエを扱う企業で、暫定的に最高経営責任者(CEO)を務める流郷綾乃さん(29歳)。ハエの幼虫を使って飼料や肥料を作り出す技術を開発している。なぜハエなのか、なぜ暫定CEOなのか。その詳細を流郷さんに聞いた。
昆虫テックベンチャーの「暫定CEO」
暫定CEO――こんな聞き慣れない肩書を持つのが流郷綾乃さんだ。流郷さんが暫定CEOを務めるのがムスカというハエを扱う企業。優良種の選別交配を重ねたイエバエがふん尿などの有機廃棄物を食べて、1週間で高品質な肥料に変えるだけでなく、ハエそのものも養殖や畜産の飼料になるというゴミを生み出さない循環システムを構築している。高品質な飼料と肥料を安定的に供給できる仕組みとして、世界の食料危機の一助になるのではと期待が寄せられている。
それにしても、29歳にしてCEO、だが暫定、そしてハエ……。並べてみると疑問は尽きない。一体なぜ? とつい、興味を引かれてしまう。実はそれこそが流郷さんの狙いだ。
流郷さんは広報やPRの専門家。現在、ムスカは海外展開を見据えていて、それを推進できる経営者を募集しており、そのことを幅広く告知するために流郷さんが「暫定CEO」というポジションを名乗っているのだ。「ユニークな肩書で、CEOのポジションは空いてますよと伝えるPR戦略です。肩書を採用のために利用する、というチャレンジングなことをしてみました」
ただ、もちろん中途半端な気持ちでCEOを担っているわけではない。「この事業は世界にとって絶対に不可欠になる。事業が成長するステージに合わせて、できる限りのことをして、次のCEOへしっかりとバトンタッチしたい。だからこそ、CEOとしての職務を全うしています。今は本当に多忙を極めていて、昨日も帰れませんでした」と言う。
寝る間も惜しんで働くCEOと聞くと、押しの強い、発言力がある人物像を想像しがちだが、流郷さんは全く異なるタイプだ。「自分からあいさつしたり、電話したりするのが怖い」と語るほどで、それが今のビジネスの原点にもなっている。
営業代理店に勤務したが「営業が嫌いだった」
社会人としてのスタートはアロマセラピスト。「香りに興味があったから」という理由でなった。21歳で出産。その後、シングルマザーとなった。「とにかくお金を稼がなければ」と、当時住んでいた関西でOA機器の営業代理店に勤めることにした。
介護事業所への営業が多い企業だったので「認知症予防にもなるといわれているアロマを活用して、空間ビジネスをやるのはどうか」と提案。するとその事業を任されることになった。早速新規事業を立ち上げ、営業活動を始めようとしたが、問題があった。流郷さんは「営業が嫌いだった」のだ。
「電話をかけようとすると受話器を持つ手が震えてしまう。自分から話を持っていくのがとにかく嫌だった。自分からアポを取らなくても、先方から話が来る方法がないかと考えました」
そこで思い付いたのがPRだった。自社の情報を世間に広めれば、営業をしなくても注文が入るはず。そう考えて、社長に頼み込み、2日間のPRセミナーに通った。そこで基礎をたたき込み、PRの世界に飛び込んだ。
「そのセミナーで知り合った人を頼りに、『今はやっている香りビジネス』という企画書を新聞社に持ち込むと、運よく取り上げてもらえたんです。狙い通り、営業をしなくても問い合わせが来るようになりました」
苦手な営業に四苦八苦するのではなく、PRという新しい打開策で解決。そしてこの時だけでなく、その後も、流郷さんは独自の発想でチャンスをつかんでいく。
フリーランスで15社の広報業務を担当
PRの仕事にやりがいを感じ、採用活動を支援する企業に転職。さまざまなイベントを立ち上げ、メディアに取り上げられるように仕向けていった。好評だったのが、大学生と企業の採用担当者が膝をつき合わせ、腹を割って話す座談会だ。大学生や企業からも喜ばれ、メディアでも頻繁に紹介された。
だが、この企業は東京に進出するという話になり、「実家がある関西で子育てをすることにしていた」流郷さんは退職を決意。転職先を探していたところ、社外の交流会で知り合った2社の経営者から「広報担当者として働いてほしい」と引き合いがあった。どちらの会社で働くか悩んだ流郷さんが出した答えは、「フリーランスで2社とも引き受ける」というものだった。「どちらの会社も魅力的で決めきれなくて。二つの収入源を持つとことは生活の安定につながるとも考えました」
フリーランスとなってからも、情報発信には工夫を凝らした。ただニュースリリースを配信するだけでなく、「業界の情報を一緒に添えたり、他社の情報を盛り込んだ企画を作成したりして、マスコミ各社に提案していきました」。こうして実績を出していた流郷さんの元には、手腕を聞きつけた企業から次々と仕事が舞い込んでくるようになる。気付けば15社近くの広報を担当していた。
「母にも家事や育児などを手伝ってもらいながら、複数社の広報業を続けましたがさすがに限界を感じました」。少しずつ担当する会社を絞り込んでいたところ、出合ったのがムスカだった。
「最速でCEOの座から離れる」ことが目標
流郷さんにとって、仕事を引き受けるかどうかは、「自分の子どもが80歳になったときでも、その事業が多くの人の役に立っているかどうか」が判断基準なのだという。「それを考えたとき、ムスカの事業はドハマリしました。世界では人口が増え、食料危機もささやかれている中、ハエの力で持続可能な社会に変えるなんてとても魅力的に思えて。でも虫は正直苦手なんですけど(笑)」
最初はムスカの執行役員として広報を担当していたが、ある時創業メンバーからこんな打診があった。「CEOとして表に立ってほしい」。突然の申し出に最初は当然ちゅうちょした。「私はCEOの器ではありませんと断ったんですが、この事業は大きく成長してほしい。できることは何でもしたいと思っていたので、事業としてムスカが稼働し、次のCEOにバトンが渡せる状態まで責任を持つという形で、暫定CEOという役職になりました」
今は自らムスカの広告塔として、事業を世の中に広めるために奔走する。「ハエはもともと食べ物にたかるなどマイナスイメージが強いです。ただ、うちのハエはサラブレッドでとても優秀なんです。その素晴らしさを伝えたい。ムスカの事業が成長して、私がCEOの座から離れることが当面の目標です」
苦手だと思う仕事も、アイデア次第で楽しい仕事に変えることができる。そんなことを身をもって示してくれた流郷さん。「どんな場面でも自分の軸さえぶれていなければ、理想の働き方ができると思います」
昆虫テックベンチャーのムスカ暫定CEO。1990年生まれ。高校卒業後、アロマセラピストとして働く。結婚、出産を経て21歳の時に営業代理店に就職。その後、25歳のときにフリーランスとなり、さまざまな企業の広報業務、人材教育を担当する。28歳でムスカの暫定CEOに就任する。
(取材・文 飯泉梓=日経doors編集部、撮影 花井智子)
[日経doors2019年3月28日付の掲載記事を基に再構成]
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