タクシー、なぜ日本は自動ドア? きっかけは東京五輪編集委員 小林明

苦悩の日々、なかなか普及しなかった自動開閉ドア

そこで発明家だった丸山国伝さんと協力し、試行錯誤の末、エンジン内の負圧(圧力の低い空気)を利用する自動開閉ドアを開発。59年秋には専門会社、東進エアードア(後に東進物産、トーシンテックへと社名変更)を創業し、タクシー会社や自動車メーカーなどへの売り込みを始める。

大手のトヨタ自動車に本格的に営業攻勢をかけるため、59年末に本社や工場を東京から愛知県に移転。トヨタ車の純正部品として納入契約を結ぶことにも成功したという。

ところが、タクシーへの導入は思うように進まなかった。

「自動ドアを導入するなんてぜいたくだ」という意識がタクシー業界に根強かったからだ。売り込んでもなかなか実績が上がらない苦悩の日々。本業以外のクーラー販売などで食いつなぐ状態を強いられたという。

突破口は東京五輪、「日本をアピール」「おもてなし」

東京五輪の応援風景(1964年、東進物産・東京営業所で)トーシンテック提供

 風向きが変わったのは、アジアで初の五輪が東京で開催された64年のこと。

海外から大勢の外国客や選手団、大会関係者らが日本にやって来ることになり、「日本をアピールできる絶好のチャンス。タクシーに自動ドアを導入すれば、良いおもてなしサービスになるし、運転手も楽に乗客の安全に気を配ることができる」と日本交通をはじめ大手タクシー会社が相次いで導入を始めたのだ。タクシー業界の労働組合に水面下で導入を働きかけたことも奏功したらしい。

こうして業界内のサービス競争に火が付き、タクシー車両への普及が一気に加速。自動開閉ドアは瞬く間に全国のタクシー車両に広がることになった。

なぜ中小メーカーの同社が高い市場シェアを握り続けたのだろうか?

「そもそも自動開閉ドアは規模がそれほど大きくないすきま市場。大手機械メーカーがあえて参入しても莫大な利益が出るわけではなかった」(東さん)。このため、初期段階から大きな市場シェアを握った同社は長年、大手の参入による競争にさらされることもなく、有利な立場を維持することができたとみられる。

ここで自動開閉ドアの仕組みについて解説しておこう。

最初に誕生したのはバキューム式。エンジンの燃焼室に空気を引き込む多岐管の内部で発生した負圧の力を取り出し、シリンダーやドアの支柱を動かす仕組み。手元のレバーを操作するだけなので、運転手は座ったままで楽に後部座席のドア(左側)を開閉できる。

内部構造が見えるバキューム式の自動開閉ドア(トーシンテック工場内で)
バキューム式の自動開閉ドアの仕組み(トーシンテック提供)

67年にはテコの原理を利用した手動式も登場。運転手が小さなレバーで金属棒を動かしながらドアを開閉する仕組み。「突起部分が多い構造なので狭い車内に設置するのは大変だったが、コストがバキューム式の半分程度に抑えられるメリットがある」(東さん)。このため、手動式は順調に売り上げを伸ばし、今ではバキューム式よりも普及率が高いそうだ。

手動式の自動開閉ドアの仕組み(トーシンテック提供)

ハイブリッド車が発売されてからはバッテリーによる電動式も開発。これならエンジンが停止している時でも、運転手がスイッチを操作するだけでドアを開閉できる。現在、納入先の要望に応じて、バキューム式、手動式、電動式の3方式で対応している。

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