著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の高橋ひとみさんだ。
――芸能界入りについて、ご両親の反応は。
「高校3年生のときに劇作家の寺山修司さんの舞台オーディションを受けたんです。幼なじみの女の子の付き添いみたいなものだったのですが、寺山さんに『君、名前は?』と声をかけられて合格しました。母もまさか合格すると思っていなかったみたいで、最初は大反対でした」
「母は大学に行ってほしかったようです。中高一貫の厳しい私立学校に通っていたので、『何のために勉強を頑張ったの? 後で後悔するよ』って。芸能界は怖いという先入観もあったみたいですね」
――どうやって説得したのですか。
「勉強を頑張りました。学校の先生が『試験でよい点数をとっていれば芸能活動をしてもいい』と言ってくれたので。大工の棟梁(とうりょう)をしていた父は子供の教育方針に口を出すほうではなかったですし、母も『ちゃんと勉強しているなら』と諦めたみたいです」
――デビューから4年後、テレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」でブレークしました。
「母は『ドラマに出ている子、私の娘よ』って周囲に言っていたそうです。民謡舞踏の師範をしていて、芸事が大好き。娘が人気ドラマに出ているのがうれしくてたまらなかったみたいですね」
――お父さんの反応は。
「もともと無口だったので、仕事についてもあまり言わなかったですね。私が30代半ばだったとき、あまりに忙しくて、実家にマネジャーが同居していたことがあるんです。そんな私を見かねたのか、ある朝、おにぎりを2つ作ってくれました。具もないシンプルなものだったのですが、すごくおいしくて感激しました。その数年後にがんで亡くなったのですが、あの味は忘れられないですね」
――お母さんも長く病気を患っていたとか。
「脳梗塞で倒れてから亡くなるまでの4年間、ずっと入院生活を送っていました。私は車が好きで、よく母と2人で伊豆や京都に旅行していたのですが、それもできなくなりました。危篤の一報を聞いて、ドラマのロケ地から駆けつけました。母の首や胸元には注射痕がたくさんあって『ありがとう。頑張ったね』と……。もう意識はなかったのですが、最後のお別れが言えてよかったです」
――ご自身は13年に結婚しました。理想の夫婦像は。
「父は海外旅行や買い物など何でも母の好きなようにさせていました。それが夫婦円満の秘訣かもしれないですね、というのは冗談です」
「私の夫について、母は『あんないい人はいないんだから、絶対に離婚しちゃ駄目よ』と常々言っていました。私もそう思いますし、ずっと仲良しでいられるよう思いやりの心を忘れずにいたいです」
[日本経済新聞夕刊2019年5月14日付]
これまでの記事はこちらからご覧ください。