母親になった土佐礼子さん、もう一つのマラソンに挑む土佐礼子(最終回)

夕食の準備をしながら子どもたちの相手をする土佐礼子(松山市の自宅)
夕食の準備をしながら子どもたちの相手をする土佐礼子(松山市の自宅)

実業団でのレース活動を終えた土佐礼子(42)は2010年に長女を出産した。その時、北京五輪での棄権で負った痛みがやっと消えたという。さらに新たなチャレンジへの意欲も湧いた。アテネ、北京と2大会連続で五輪に出場したマラソンランナー、土佐の最終回は今なお走り続ける姿を描く。前回の記事は(「『心も体も動かない』土佐礼子さん、再び走り出す旅へ」

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北京五輪(2008年)の棄権で、初めて途絶えた土佐礼子の42キロは、09年3月の東京マラソン完走で7カ月ぶりにようやくゴールへつながった。実業団のプロフェッショナルランナーとして臨んだ北京と、地元・松山に帰って、夫や母親、周囲に支えられながら「家内工業」のように積み上げた東京と、42キロには全く異なる2つの色合いと意義が混じっている。2時間30分(3位)は切ったが、五輪で再びメダルを狙うレベルではないと感じる。しかし、これまで味わうことのなかった充実感も一方でかみしめていた。

「ずい分と時間がかかってしまいましたが、42キロをやっとつないで、北京五輪を心の中で完走できた、と思えました。その時少しだけ取り戻せた自信が、ひそかに、あるチャレンジへの意欲をかき立ててくれたんです」

家族を最優先する日々

自宅階段にある棚にはアテネ五輪と北京五輪のゼッケンが飾られている

メディアは現役引退レースとしたが、自身にとっての引退レースにはならなかった理由をそう説明する。

実業団で活動する区切りにはしたが、マラソンランナーとしての区切りは先延ばしする。東京が終わった3月、三井住友海上陸上部に在籍したまま「プレーイング・アドバイザー」に就任し、松山に拠点を移した。

04年に結婚して以来4年間も別居を続け、主婦らしい働きは何もできず、家族を最優先する時間も持てなかった。33歳になって初めて「ランニングで自分を追い込まない」日々を、瀬戸内海を見渡せるキッチンで過ごしながら享受した。妊娠が分かった09年の夏ごろから、それでも「あるチャレンジへの意欲」は、むしろ少しずつ、子どもの成長とともに大きくなっていく。

10年4月、長女を出産する。

五輪の棄権で、胸のどこかに刺さったままの小さなとげと痛みが、本当の意味で消えたのはこの時である。産婦人科医は「このくらいは難産じゃありません、安産です」と激励してくれたが、陣痛が始まって出産まで13時間、血圧は一時200を超えて、医師が血圧計の故障かと確認していたシーンが今も思い浮かぶという。

「自分が必死に耐えてきたと思っていたマラソンの2時間は何だったんだろう、と、終わらない痛みの中で考えましたよね。あの棄権は、命までかけて、命まで取られるようなものではなかったんじゃないか、って。半日以上陣痛に耐え、長女が生まれてきてくれた時、ずっと消えなかった痛みが本当の意味で消え去ったのだと思えました」