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死んだブタの脳の細胞を回復 脳死と倫理ゆるがすか?

日経ナショナル ジオグラフィック社

2019/5/13

「実験動物保護の枠組みには大きな穴が開きました。今回の実験によって、『部分的に蘇生した・かすかに生きている』動物というカテゴリーができたからです。しかも現時点では、機能を取り戻す可能性について、まだよくわかっていないのです」と神経倫理ワーキンググループのメンバーでもあるファラハニー氏は言う。「死んだ動物の脳を蘇生させる研究をするとしたら、それは死んだ組織の研究ではなく、生きている動物の研究になるのでしょうか?」

倫理的に正当化できるかどうかは、今後BrainExを使った研究が、人間を病気から、あるいは脳死から救える可能性にかかっていると専門家らは指摘する。

「好奇心のためだけに、手当たり次第にほかの生物に苦痛を与えることは許されません。実験には十分な理由がなければなりませんし、適切な方法で行わなければなりません」とコッホ氏は言う。「この成果を利用して脳を救うことはできるでしょうか? ただ大騒ぎするのではなく、起きていることをよく考えなければなりません」

BrainExの実験はヒトの脳でもうまくいくだろうか? コッホ氏は、ブタもヒトも同じように脳は大きく複雑なので、技術的に特に大きなハードルはないと言う。しかし、コッホ氏を含めナショナル ジオグラフィックが問い合わせた専門家の全員が、安易にヒトでの実験に進んではならないと警告した。

米ケース・ウェスタン・リザーブ大学の生命倫理学者、スチュアート・ヤングナー氏とインス・ヒョン氏は『ネイチャー』誌に寄稿した論評記事で、将来、BrainExの技術が脳死の基準を曖昧にし、臓器提供のプロセスが複雑になる可能性があると指摘している。ただし、米国で最大規模の臓器提供ネットワークであるギフト・オブ・ホープ(Gift of Hope)の最高経営責任者(CEO)であるケビン・クマント氏は、BrainExによって特に大きな混乱は生じないだろうと見ている。脳死を宣告される臓器提供者は多くの場合、この研究の脳より長時間の低酸素状態にあったり、激しい身体的損傷があったりするからだ。

「脳死提供者の大多数には、大きな影響がないでしょう」とクマント氏は言う。「(BrainExが)臓器提供の機会に影響するケースはあるかもしれませんが、比較的少ないと思います」

クマント氏は、もし病院でBrainExが使われるようになるとすれば、脳死や延命治療の終了を判断する前に患者に施される、数々の治療法の1つになるだろうと考えている。脳が回復する可能性があれば、医療従事者は血液循環の維持にいっそう努力するため、たとえ脳死と判断されても、より良い状態の臓器が提供されるようになるかもしれない。

「必ずしも臓器移植と利害が対立するとは思いません。例えば低体温療法は、臓器や脳の損傷を抑えるためにしますが、治療の一部です。それと同じことです」

■すべては始まったばかり

最も根本的なところでBrainExが浮き彫りにするのは、これまでに知識の増加と治療法の改良によって、死の定義がいかに変わってきたかという点だ。

「病院で、自分の父親が脳死宣告されたと想像してみてください。この論文を読んだばかりのあなたは、医師にこう言うでしょう。先生、脳死ってどういうことですか?と。医師は、脳死とは脳機能が不可逆的に失われることです、と言うでしょう。あなたはこう反論します。ですが先生、明日の『不可逆的』は今日の『不可逆的』とは違うものかもしれませんよ?」とコッホ氏は言う。

生と死の境界におけるBrainExの立場は、SF小説に通じるところがある。最も不気味なところでは、『フランケンシュタイン』を連想する人もいるだろう。けれどもファラハニー氏は、この技術はSF小説にはほど遠い段階にあると強調する。

「たしかにBrainExは、SF小説のような要素があり、死んだ脳の細胞の機能を回復させるという、これまで不可能だと思われていたことを可能にしました。けれどもフランケンシュタインを生み出すためには、ある程度の『意識』を持たせる必要があります」と彼女は言う。「今回の研究では、どんな形でも意識を回復させていません。それができるかどうかもまだ不明です。その可能性に一歩近づいたとは言えますが」

(文 Michael Greshko、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2019年4月19日付]

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