町屋良平『1R1分34秒』 ボクサーの心書き込む筆力
デビュー戦を初回KOで飾った後、2敗1分けと勝てずにいる21歳プロボクサーの内面を追った『1R1分34秒』。2019年1月に芥川賞を受賞した、町屋良平の話題作だ。対戦相手を研究するなかで抱く架空の友情、唯一の友人である映画好き大学生とのひととき、一風変わったトレーナーへの反発と共感、ジム見学に訪れた女性との交わりなどが、細やかな心理描写で描かれていく。
16年に作家デビューした町屋がボクサーを主人公にしたのは、本作が2回めだ。
「ボクシングそのものがドラマチックな性質があるので、そのドラマ性を小説にするということに抵抗がありました」と語る町屋は、自身もボクシングを8年ほど続けていた。「24、25歳の頃始めたのですが、半年後ぐらいにはプロのライセンスを取りたいというモチベーションをもって練習をするようになりました」。しかし、ジム通いは、想像以上にきつかった。「自身の体力と運動神経を日々更新し続けなければいけない、追い込む大変さが身に染みて分かりました。ライセンス取得をあきらめることにした後ぐらいでしょうか。小説を書き続けるかどうか迷っていたなかで、それまで禁じ手だと考えていた"ボクシング"を書こうという気になりました」。強い思い切りと勢いで書いた『青が破れる』は文藝賞を受賞して、町屋を作家デビューに導いた。続く『しき』でダンスに夢中になる高校生を描き、今作で再びボクサーを主人公に選んだ。
「プロとして小説を発表するようになって、改めてプロボクサーについて考えられることがあると思えた瞬間がありました。自分が書くからには、既存のボクサーやボクシングのイメージに頼らず、新しい像を打ち出したいと思いました」
芥川賞の選考委員から『1R1分34秒』の主人公が「対戦相手に対する思いやりが徹底的に描かれていてボクサーとして新しさを感じさせる」と評価されたことについて、「分かっていただいたうれしさはありました」と笑みを見せた。
ボクシングはしばらく封印
もう1つ高く評価された点に、ボクサーの心情を徹底的に書き込む筆力があった。「減量や戦いに臨む心の動きがリアル。これが虚構であってもだまされていいと思わせるだけの言葉の力があった」と、選考委員の奥泉光は称賛した。「減量シーンはすべて想像です」と、町屋は明かす。「書き終えてからボクサーに取材をして、おおむね合っていることは確認しました。取材したボクサーが、『主人公の気持ちが分かる』と言ってくれたのが印象に残っています」。
体が発する感覚を思考に置き換えて丁寧に描くのは、町屋の特徴。それもそのはず、町屋にはもともと、「体を動かすこと」への関心を小説化したい思いがあった。
「体が動くことと、認識が言葉と出合って文章になっていくという運動、その2つの運動を自覚して書くことには、強い方法意識を持ってきました。実際に書き方が結実したのは、デビュー作の『青が破れる』を書き終わった後ぐらいかと思います。1つのビジョンと一致してデビューさせていただいたという感慨もありました」
だが今後については、少し違った思いも生まれてきたようだ。
「本当の関心は、"書くこと"そのものの運動みたいなもの、なんですよね。今まではボクシングやダンスといった体を動かすことと言葉を関連づけていたんですけど、今は"書くこと"自体が成り立つおおもとである、日々の生活というものが、気になってきています」
本作に続いて刊行された『ぼくはきっとやさしい』(河出書房新社)では、恋愛を扱った町屋。今後"生活"という普遍的な題材に挑むことで、その技量を広く知らしめることになるだろう。
(ライター 土田みき)
[日経エンタテインメント! 2019年4月号の記事を再構成]
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