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未完のレース

「心も体も動かない」土佐礼子さん、再び走り出す旅へ 土佐礼子(3)

2019/5/8

土佐礼子は現役時代のことを冷静に話せるようになった(松山市)

スピードランナーではない土佐礼子(42)にとって、42.195キロを走りきることが陸上選手としての評価の全てだった。だが、様々な犠牲を払って出場した2008年の北京五輪が思いもしない棄権という結果に終わった。今回は傷ついた心と体を癒やし、走る気力とともに自己の存在意義を取り戻す過程に迫る。前回は(「北京五輪マラソン 土佐礼子さんが足を止めた奇跡の声」

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高校でも大学時代も「後輩に練習でも勝てず、連戦連敗でした」と話す土佐礼子にとって、42.195キロというつらい距離だけが自らの存在価値を示せる唯一の場であった。ここで走れなければ、陸上にもう走れる距離はない。危機感にも似たこうした思いが、全くスピードを持たなかったランナーを常に目標に駆り立てるパワーであり、だからこそ、練習でもレースでも「諦める」などと考えたことは一度もなかったのだ。

酷暑の難コースを競ったアテネ五輪(5位)でも、上り坂で一度は引き離されながらも諦めなかった。最大の持ち味である粘りで、マラソンでは底力の指標ともなる「上がり」と呼ばれるラストの2.195キロを7分25秒と、野口、銀メダルのヌデレバ(ケニア、ともに7分20秒)、銅メダルのカスターに続く3番目の好記録でカバーしている。この走りが五輪メダル獲得への大きな手応えとなり、胸に秘めたささやかな自信ともなった。

■新婚ながら、4年間の別居生活

五輪が終わった04年12月に、松山大の先輩、村井啓一と結婚したのは、その自信を北京五輪につなげるために入念な計画を立て、いち早くスタートを切りたかったからだ。東京・町田にある陸上部の合宿所生活をこれまで通り続け、夫は松山で大学職員として勤務する。北京のために新婚の夫婦が選んだのは、4年間と、明確に分かっていた長い別居生活だった。

旅行だけ楽しむのは、人生で初めてだったという(右は夫の村井啓一)

そうして夫婦でかけた2度目の五輪が、想像もしなかった棄権で幕を閉じた時、土佐はアイデンティティーを失い、3度目はもうないという現実に深く絶望した。村井は、北京から帰国後、妻が毎日ふさぎ込み、地元松山で関係者に会えば「すみません」と涙を流して謝る姿、走ろうとしない様子を案じ、思い切って陸上から離れるため友人を訪ねて道東旅行に連れ出した。

いつもなら、ランニングシューズと、毎日の練習に用意するウエアだけでスーツケースは一杯になる。しかし、陸上を高校で始めて以来、走るための用具は何一つ持参して行かなかった。

「棄権で運ばれた病院のテレビでマラソンのゴールを見てから、自分がゴールできなかった現実を受け止められなかったんです。一緒に頑張り、私を支えてくれた旦那さんにも恩返しどころか本当につらい思いをさせて……1カ月がたっても、やっぱりあれは夢だったんじゃないか、と心も体も動きませんでした。全く走らず、ただ旅行だけ楽しむのは、人生初めてでしたが行ってみようと決めました」

今も痛みをかみしめるかのように、そう振り返る。

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