皇室が紡ぐ絹千年物語 御養蚕の繭が文化財継承に一役

皇室は古来、日本文化の発展に大きな役割を果たしてきた。養蚕と優れた染織技術への貢献は大きい。皇室ゆかりの美術品を所蔵する三の丸尚蔵館の太田彩・主任研究官が解説する。

小石丸によって復元された正倉院裂「紫地鳳唐草丸文錦」の文様=宮内庁正倉院事務所

温暖湿潤で四季が巡り来る島国日本が、千年以上に及んで育んできた文化は、実に誇らしい。大陸の様々な文物を受容した日本は、それらを土壌にわが国の風土に適した文化を育み、展開してきた。絹文化もその一つである。

日本書紀に養蚕が登場

養蚕は『日本書紀』に、天皇が后妃に桑摘みと養蚕を勧められたとある。農業と共に養蚕は国の繁栄と豊穣(ほうじょう)を支える重要なものだったのである。また、正倉院宝物には、正月初子(はつね)の日に天皇が国の豊穣を祈る儀式で、蚕神を祀(まつ)って蚕室をはらう際の儀式具「子日(ねのひ)目利箒(めとぎのほうき)」という玉箒(たまほうき)が伝わっている。

その後、皇室と養蚕の関わりを示す史料はないが、平安時代後期の源俊頼や藤原俊成らの和歌や歌論集に、養蚕が人々の生活に密着している様子がうかがえる。この間にわが国の染織技術は発達し、宮廷では御装束と呼ばれる華やかな衣服が着用され、民間でも意匠性のある衣服が展開していた。

さらに近世には、小袖が宮中に拡大したことで、幅広い階層の衣服の形態や意匠、加飾技法の展開に影響を与え、豊潤な染織文化を導いた。古代の皇后による養蚕への関与は、わが国の養蚕業の発展、染織技術の向上を促し、絹文化を豊かにする土壌を築いたのである。

そして近代。養蚕業の新たな幕開けは、19世紀半ばすぎに微粒子病によって養蚕業が壊滅的な被害を受けたフランスに、横浜港から大量の蚕種と生糸が輸出されたことに始まる。そして明治に入って、養蚕業と製糸業は、近代化を目指すわが国の重要な産業となった。フランス人技師を招いて建設された官営富岡製糸場は、その象徴である。

また、京都西陣の織工をフランスに送り、機織技術の改革と技術者の育成にも努める。こうして世界的にも優れた品質の日本の生糸、織物を生み出した養蚕業、そして絹文化の発展に、近代皇室は新たな形で寄与した。

国産使用を奨励

一つは、国内の織物需要を促す要因をもたらしたことである。明治という新たな御代、天皇が国を導く立場になられたことで、美子(はるこ)皇后(昭憲皇太后)は、明治天皇と共に儀式に参列し、各所へ行啓され、さらに女子教育の奨励、慈善事業の支援も行われた。

大婚25年式典で昭憲皇太后が着用された「御物 ローブ・デコルテ」=宮内庁侍従職

そして、西欧の儀礼等に倣った公的な場で着用する衣服の洋式化が図られる中、1886年の華族女学校への行啓で初めて洋装を、また翌年の新年拝賀では初めて洋装大礼服を召された。さらにこの月、女子の洋装を奨励する女子服制に関する思召書を皇后自らの御名で下され、国産の服地の使用を奨励されている。

また、88年竣工の明治宮殿(1945年焼失)内部を装飾する壁張り裂(ぎれ)や緞帳(どんちょう)等の織物は、フランスから学んだジャカード織機等により、京都西陣を中心に国内で製作されたもので、他に天鵞絨(びろうど)友禅や綴錦(つづれにしき)、刺繍(ししゅう)による室内装飾品も多く製作された。

一方、宮中行事や成長に伴う通過儀礼等における御装束やお祝い着等も継承されている。貞明皇后(大正天皇皇后)が幼少期の三笠宮崇仁親王のお誕生日のお祝いのために誂(あつら)えられたそれらには、伝統的な吉祥模様ながら意匠の取り合わせや色彩に大正という時代の特色がよく表れ、優れた染織技術がうかがえる。

三笠宮崇仁親王の3歳のお祝い着=1918年、宮内庁三の丸尚蔵館蔵

この様な近代皇室に関わる染織の品々は、長く日本が伝えてきた意匠や技術を大切にしながらも新たな技術を融合したもので、近代という時代に応じた絹文化の発展継承に果たした役割は大きい。

皇后自ら着手

そしてもう一つが、皇室御養蚕である。1871年、養蚕奨励のために美子皇后が自ら始められた御養蚕は、その後百四十年余を経た現在まで継承されている。特に、貞明皇后は、皇太子妃時代の東京蚕業講習所(現東京農工大学)行啓の折、当時、優秀な蚕種であった純日本種の「小石丸」の献上を受けてお手元で飼育されたことを契機に御養蚕に力を注がれた。大正期には、皇居紅葉山に御養蚕所を建築されて小石丸を含めた数種類を飼育され、皇室御養蚕の姿を確立された。

そして、1990年、香淳皇后より御養蚕を引き継がれた皇后陛下は、廃棄が検討されていた小石丸に対し、貞明皇后が小石丸を大切にされていたことを天皇陛下からお聞きになっていたこと、またすでに殆(ほとん)ど生産されていない貴重な純国産種の蚕で、形が愛らしく糸も美しい繭であることから、関係者の理解を得た上で残すことを決断された。

この小石丸が、94年度から始まった正倉院裂の復元に大きな役割を果たす。繊細でしなやかな質感を持つ古代裂の復元には、宝物製作当時に日本に生育していた蚕の糸に近い細い糸を用いる必要があるが、その日本種の蚕は手に入らない状況下で、紅葉山御養蚕所に小石丸が残されていたのである。正倉院事務所からの御下賜願いに対し、皇后陛下は増産して対応された。

また、三の丸尚蔵館所蔵の鎌倉時代の絵巻「春日権現験記(げんき)絵」の表紙裂の復元にも小石丸を御下賜いただいた。復元された表紙裂はわが国有数の優れた絵巻の姿を飾り、今後、百年、二百年と作品を保護していく。文化財そのものの後世への継承に、大きな役目を果たしたのである。

皇后陛下のこうした御助力の傍らで、天皇陛下もまた、正倉院の復元裂を染色するために皇居内の茜(あかね)の栽培に御助力いただいた。

日本文化の伝統の重みをよく承知されている両陛下であればこそ、現在(いま)のお二人でできることに真摯に取り組まれる。その御心に深く感謝したい。

(三の丸尚蔵館主任研究官 太田 彩)

[日本経済新聞夕刊2019年4月30日付]

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