映画コメンテーター・有村昆さん 家族で「ツイてる」

1976年、マレーシア生まれ。テレビ番組や雑誌で映画コメンテーターを務めるほか、ラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍。DMMオンラインサロン「有村昆のシネマラボ」も活動中。
1976年、マレーシア生まれ。テレビ番組や雑誌で映画コメンテーターを務めるほか、ラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍。DMMオンラインサロン「有村昆のシネマラボ」も活動中。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は映画コメンテーターの有村昆さんだ。

――「昆」というお名前は本名ですか。

「父が米国の大学を出ているので、外国人でも覚えられるインターナショナルな名前にしたかったみたいです。伝説の鳥、鳳凰(ほうおう)は小さなとき『こん』という名前の魚だったと聞いたことがあります。鳳凰のように立派になってほしいという願いから、この名前になりました」

――6歳までマレーシアで過ごしました。

「父はホテルマンで海外のビジネスに携わっていた関係でマレーシアで生まれました。歌手だった母はマレーシアの王族の晩さん会で歌う機会もあって、私は小さいころから社交の場に連れて行ってもらっていました」

――お父様は少し厳しかったとか。

「マレーシアにいたころは家で週末にホームパーティーがあったので、父にテーブルマナーを徹底的に教え込まれました。少しでも騒ぐと口の中に指を入れられるぐらい怖かった記憶があります」

「父は3分の1ぐらいは海外で仕事をしていました。その間ずっと勉強していて、米国を含めると9つの大学を出ています。81歳の今も、大学の博士課程に在籍しています。リポートに追われて忙しそうにしてます」

――どんな教育方針だったのですか。

「『ツイてるコール』を毎日していました。夕食後に家族全員で『ツイてる、ツイてる、本当にツイてる』と手をたたきながら言うんです。自己暗示ですね。あと『今日は学校でどんないいことあった?』と毎日そればかり聞かれました。学校って嫌なことももちろんあるけど、いいことを探すようになりました。おかげで超ポジティブ思考が身につき、楽しいことしか考えなくなりましたね」

――反抗期はなかったのですか。

「やりたいと言ったことは全力で応援してくれたので反抗する必要がありませんでした。曲を作っていた中高時代はシンセサイザーや録音機材を買ってくれて、本格的に取り組む環境をつくってくれました。母が歌手ということもありますが、すごく理解がありました。芸能の仕事をすると言ったときも何の反対もなかった。『好きなことで頑張りなさい』と背中を押してくれた両親に感謝しています」

――ご自身には、1歳の息子さんがいるそうですね。

「子ども扱いするのではなく一人の人間として接したいです。僕は子ども扱いされるのが嫌で、レストランでも大人と同じ椅子に座って、大人と同じ食器を使っていました。親が対等に接してくれていたからこそしっかりしなきゃという意識も芽生えたので、息子にもと思っています。今はまだできないですが、いつか『ツイてるコール』もやってあげたいな」

[日本経済新聞夕刊2019年5月7日付]

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