
ケアンズに渡ったケニーさんは、飲食店のスタッフ全員がオーストラリア人の中、洗い場からスタート。毎日帰宅しては必死で英語や料理のことを独学で勉強した。やがて少しずつ仕込みもやらせてもらえるようになり、2年後にはその店で副料理長にまでなった。その後、別の飲食店で料理長として5年働き、腕を磨いていった。
「その間に結婚もし、自分のレストランを持ちたいという昔からの想いが強まり、30歳で貯金が目標額に達したのを機に独立を決意しました」とケニーさん。しかし、それは一種の賭けでもあったと話す。
「どうせ挑戦するなら大きく成功したいと思いました。失敗するにしても、どうせなら豪快に転びたいと思いました」(ケニーさん)。度胸のあるケニーさんは、長年の実績があるケアンズではなく、オーストラリア最大の都市であるシドニーに飛び込むことに決めた。
当時、Billsは日本にも1店舗あって知っていたので、ダメ元で履歴書を持ち込んだという。すると驚くことに、さっそく次の日にトライアルが組まれ、2時間のトライアルの後には即採用が決まった。そして入社から2週間後には、朝昼営業の責任者に選ばれ、さらに2カ月後には総本店への異動。さらにその1カ月後には、総本店料理長としてオファーをもらうことになったのだ。実力主義のシドニーでも異例の大抜てきとなった。
「ケアンズではシェフの技術や知識、引き出しがいかに多いかが大切で、盛り付けにインパクトを加えたり、料理の中身を濃くしたりしていくことが求められました。しかし、Billsで学んだことは真逆で、私の料理に対する考え方を根本から変えるものでした」とケニーさん。それが「いかに手を加えないか」を大切にした「引きの美学」だったと語る。

シドニーではここ5年くらい、インスタグラムの影響で見栄えのいいもの、カラフルなものが注目を集めている。ケニーさんの抹茶スイーツやカツサンドは、その見栄えの良さも人気の要因になっているのだろう。
「シドニーの人は新しいメニューを試すことに抵抗が少ないため、以前、期間限定で提供した納豆パスタやめんたいこパスタも人気でした。めんたいこは魚卵なので、普通、欧米人などは好きではないと思いますが……」とケニーさん。奇抜なアイデアでもあえて挑戦しているところだという。
これまでシドニーで2店舗を順調に開業できたのは、たくさんの人にチャンスを与えられてきたからだとケニーさんは考えている。「これからもオーストラリアと日本の架け橋になるようなジャパニーズ・フュージョン料理で、日本文化を発信していきたいです。昔の自分のように夢とやる気を持った若者たちの力になることで、今まで私がもらった恩を今度は人に与えていければ(=pay it forward)と思います」(ケニーさん)。
取材中、多くのご近所さんが「ケニーさん、元気?」と声をかけて行くのがとても印象的だった。地元の人々に愛されている店は、子連れやご夫婦など様々な人々を笑顔にしていた。
*1豪ドル78円で計算して記載
(GreenCreate)