私をつくった「食」の喜び 母の青汁 風吹ジュンさん食の履歴書

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1952年富山県生まれ。72年にモデルとして世に出る。74年に歌手デビュー。ドラマ出演をきっかけに23歳のときに女優に転身する。91年映画「無能の人」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞。今年4月から1年間放送の「やすらぎの刻~道」(TV朝日系)に出演中。吉川秀樹撮影
1952年富山県生まれ。72年にモデルとして世に出る。74年に歌手デビュー。ドラマ出演をきっかけに23歳のときに女優に転身する。91年映画「無能の人」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞。今年4月から1年間放送の「やすらぎの刻~道」(TV朝日系)に出演中。吉川秀樹撮影

親の離婚、育児放棄、独りでの上京、結婚生活の破綻――。複雑な過去を背負いながらも、身にまとう空気は、その名前の通り濁らず爽やかだ。風吹ジュンさん。生きる喜びへの飢えが、食の探求に彼女を駆り立て、活力を与えてきた。

まずかった青汁に母の親心

幼心に焼き付いた食事の思い出は、決して楽しいものではない。野草を細かく刻み生卵を混ぜ込んだ母特製の「青汁」。苦くてまずかったが「これを飲まないと食事は抜きという思いで飲み干しました。今思うと、健康を気遣う親心だったんだろうなぁ」

こんなこともあった。油揚げを七輪で焼き、しょうゆをさっとかける。「おいしい!」。素材が料理を決めると知った。「食べることに興味を持ったのは、あの頃の経験がきっかけ」と振り返る。

3歳上の兄と両親の4人家族。父は京大卒の教員。理想の家族と思いきや、物心のついた頃には空気は冷え切っていた。小学5年のとき両親が離婚。母と暮らし、内職を手伝った。「自分のことは自分で面倒見なさい」。母から告げられたのは13歳。兄と共に家を出て、京都に移り住む。「窓を開けると目の前が崖」のような狭い部屋だった。

心のよりどころになったのは料理だ。働く兄に代わって台所に立つのは彼女だった。家計は常に苦しく、買える食材は限られる。それでも育ち盛りだから肉を食べたい。一番のご馳走(ごちそう)はハンバーグだった。ひき肉なら価格も手ごろ。見よう見まねで懸命につくった。「冷たいコーラとの組み合わせが最高だった」

もっとおいしいものを知りたい――。食文化の中心、京都では舌も肥やした。縫製工場のアルバイトでためたお金をはたいて、煮付けや総菜、そばなど有名店をはしごした。「繊細な味付け、だしの魅力に目覚めた」

「受け入れることで楽になった」

18歳のとき、自分に何ができるか試したいと上京する。ピザやハンバーガーなどファストフードに出合ったのもこの頃。一番の驚きは都心のスーパーに並ぶ果物の種類の多さだった。キウイ、パッションフルーツ、パパイアなど「見た目、香り、味などすべてが新鮮だった」

もっとも東京の生活に当てがあったわけではなく、慣れない飲食店などで稼ぐしかなかった。「これは違う」。20歳の誕生日に芸能事務所の社員に応募した。「事務作業ならできると思った」

面接の翌日にモデルとして採用が決まり、翌週はハワイで撮影をこなしていた。「風が吹くように現れたから風吹。名前は語呂がいいからジュンね」。事務所担当者から芸名を告げられた。アイドル、歌手として脚光を浴びるが「実感はわかなかった」

分刻みの生活に違和感を覚えていたとき、ドラマ出演の仕事が舞い込む。脚本家、向田邦子さんの「寺内貫太郎一家」だ。「自分の居場所が見つかった」と感じた。

女優として評価を確立。結婚、出産と上り坂だった家庭は離婚という破局を迎える。小学校に上がったばかりの娘と息子を引き取り、一人で育てた。毎日の食事、お弁当作りは手を抜かなかった。「野菜をちゃんと食べさせたかった」。女優と母親、仕事と家庭を両立させるため「毎日自分と闘っていた」

波乱に富んだ半生だが、同情は風のようにさらりとかわす。「本当の苦労や悩みは伝わらないし、他人と比べることもできない」。幸せは、苦しみや不幸があるからこそ一層深く感じられる。「受け入れることで楽になったの」

標高2300mの山小屋でステーキ

今では子供たちも巣立ち、心に余裕が生まれた。食の探求はライフワークとなっている。そのひとつが中国茶。気になる茶葉を求めて中国各地に出掛ける。「茶葉だけではなく茶器によっても味が違ってくる」。最近始めたスキューバダイビングでは、自ら魚を捕まえて食べる。「シマダイの刺し身は絶品だった」

おいしいものは周囲に薦めずにはいられない。中国茶は保温ポットで仕事場に持ち込み共演者に振る舞う。「心が打ち解ける感じがする。子役も楽しそうに会話してくれるのよ」。女優仲間とは定期的に料理教室を開いている。料理家を講師に招き、ワイワイ、ガヤガヤと食事を楽しむ。

5月に67歳になる。「昨日は金時豆のチリコンカン風煮とくらかけ豆のひたし豆を作ったの」。手間暇をかける料理が好きだ。70代の目標に八ケ岳への登山を掲げ、足腰を鍛える練習も始めた。「標高2300メートルの山小屋で食べるステーキ。それが目当てかなぁ」。大きな瞳をくりくりさせて笑った。

風吹ジュンさんがいつも注文する「モロッコ風サラダ」(手前、東京都渋谷区のピニョン)

スパイスの調合に驚き

渋谷駅周辺のけんそうから無縁の神山町にたたずむフレンチレストラン「ピニョン」(電話03・3468・2331)。「同じモノを注文しても飽きないの。味に驚きがあるのよ」と風吹さん。クミン、ミント、コリアンダーなどスパイスの調合が魅力だとか。

いつも注文するのがトマト、ナス、ビーツなど約10種類の野菜からなる「モロッコサラダ」(税抜き1500円)と、羊肉を使った「羊ソーセージ」(同1900円)。「味を決めるのは素材で、スパイスは引き立て役」とオーナーシェフの吉川倫平さん。懐かしさを感じられる味を目指しているという。

薄暗く狭い店内はゆったりと時間が流れる。「堅苦しさがなく、居心地がいい」。そんな温かな雰囲気も、風吹さんは気に入っている。

最後の晩餐

うーん、おそばかなぁ。温かい掛けそば。関西風のダシの香りを楽しんで、麺をすする。薬味は絶対に三つ葉とすり立てのワサビ。麺にお箸でちょこんとワサビをもって……。最高のぜいたくだと思う。あぁ、なじみのそば屋さんに寄りたくなっちゃった。

(佐々木聖)

[NIKKEIプラス1 2019年4月27日付]

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