今回の論文の筆頭著者で、フランス国立自然史博物館講師のフローラン・デトロワ氏は、そもそも「種」とは、進化の歴史をはっきりさせることを目的に人が作った分類に過ぎず、必ずしも厳然とした生物学的な真実ではない、と付け加える。

「将来、今回の化石は既知の人類の種に分類できることが示され、私たちが間違っていたことがわかったとしたら、1つの種に統合して忘れてしまうでしょう。しかし今のところは、新種に分類すべきだと私は確信しています」と同氏はメールで述べた。

2011年のカラオ洞窟の発掘調査の様子。1メートルの厚い粘土層を注意深く掘り進む研究者が見える(PHOTOGRAPH COURTESY OF CALLAO CAVE ARCHAEOLOGY PROJECT)

道具を使っていたルソン原人

今回発見された人類が最終的にどう定義されようと、フィリピンの初期人類の行動の一部が現生人類に近いことに、研究者は興奮しているという。これには、道具の使用が含まれる。

2010年に発表されたカラオ洞窟で見つかった足の骨(今ではルソン原人のものと考えられている)に関する論文では、同じ地層から見つかったシカの骨に、石器で切ったような傷が付いていたと述べられている。ドイツ、マックス・プランク人類史学研究所の古人類学者マイケル・ペトラグリア氏は、このシカの骨を、ルソン原人が道具作りの達人であり優秀な狩人だったことを示す証拠だと考えている。

ルソン原人かあるいは別の初期人類が、もっと前にルソン島に住んでいたという証拠もある。2018年、ミハレス氏の研究チームは、カラオ洞窟からそれほど遠くない所で、70万年以上前の石器と解体されたサイの骨格を発見したと発表した。しかし、骨と石器が見つかった遺跡の時代がそれぞれ異なるため、石器を使ったのが、ルソン原人の祖先なのか、関係のない別の人類なのかは謎だ。

どうやって海を渡ったのか

ルソン原人もフローレス原人も等しく小型に進化したわけだが、異なる2つの種に進化した。その違いをもたらした島の条件は不明だ。また、さまざまな研究により、古代の人類種の間では、交雑が定期的に起きていたことが明らかになっている。しかし、ルソン原人の祖先が、当時アジアに住んでいた他の人類と交配し子を産んでいたかどうかはわからない。ちなみに当時のアジアには、謎に包まれたデニソワ人などがいた。

「人間の進化において自然が行なった、ある種の実験のようなものです」とフローレス原人の専門家でオーストラリア、ウーロンゴン大学のゲリット・ファン・デン・ベルフ氏は話す。

もう1つの大きな謎は、ルソン原人の祖先が、どうやってフィリピンに到達したのかだ。2016年、インドネシア、スラウェシ島で、11万8000~19万4000年前の石器が見つかった。同島の最古の現生人類の痕跡より少なくとも6万年は前のものだ。フローレス島とルソン島の化石を考慮すると、従来の説とは異なり、初期人類がこの地域全体に広がっていたのは、必ずしも珍しいことでも偶然でもなかったと考えられる。

「サイが泳いでたどり着けたのなら、ホモ・エレクトスやフローレス原人、ルソン原人にできたとしても不思議ではありません。船を作れなくても、必ずしもひたすら泳がなくてもいいのです。少なくとも、いかだを作れればたどり着けたと考えられます」とペトラグリア氏は話す。「単なる憶測に過ぎませんが、こう仮定すれば説得力のある議論ができます」

1つはっきりしていることは、東南アジアには、おそらく現在化石から判明しているよりも多くの種の人類が暮らしていたということだ。ミハレス氏は、ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けて行っているルソン島ビアクナバト国立公園での現在の調査の他にも、ルソン原人の痕跡を引き続き調べている。ルソン原人、そしてアジアの人類学の未来は明るいと同氏は見る。

「フィリピン人として、東南アジア人として、とても誇りに思います。フィリピンや東南アジアは、人類の進化史において、いつも周辺に追いやられてきました。ところが今や、この地域の遺跡が認められ、積極的に議論に参加できるのです」とミハレス氏は語る。「おそらく、これこそが、人類学における私の遺産なのです」

(文 MICHAEL GRESHKO、MAYA WEI-HAAS、訳 牧野建志、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2019年4月13日付]

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