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金子コードの金子智樹社長は長期の経営構想を描いている

金子コードの金子智樹社長は長期の経営構想を描いている

電話線のコードから始まり、カテーテルチューブ、さらにキャビアへと、金子コードは業容を様変わりさせてきた。新規事業を打ち出そうとする際、若手を集めてタスクフォースのような形でスタートする方法がある。だが、金子コードの場合、あえて経験豊富な中堅社員を指名。無期限で放浪の旅に出すなど思い切った選択をした。そこには金子智樹社長のどんな思いと決断があったのか。

<<(上)キャビア養殖をゼロから創業 アジア放浪からの着想

 ――新規事業を起こす原点には何があるのでしょうか?

「それはやはり、私自身の経験が大きいです。27歳の時、たった1人でシンガポールに派遣された。2代目、つまり私の父がシンガポールの企業と現地で合弁会社を作ったんですが、何をやるかはまったく決まっていませんでした」

「それまで日本で営業を担当し、かなりの成績をあげていたつもりでしたが、そんなことはしょせん、敷かれたレールの上で踊っていたに過ぎません。売るモノすらない、無の状態に置かれてみて始めて、それを痛感しました。売上ゼロで、経費だけが出ていく。そのうち一番大きいのが、自分の給料だったりするわけです。日本に電話をすると、父にこう言われました。『とにかく1つ言えることは、失敗して会社をつぶして帰ってきたらお前の居場所はないぞ、と。社員もおそらく、お前をバカにして相手にしてくれないだろうな』と。電話代も高かったですから、『もう切るぞ』という感じで放り出された。あの3年間がなかったら、強くはなれなかったでしょう」

 ――シンガポールでは具体的にどんな経験を?

「いろいろと試しましたが、一番成功したのは、東南アジアに進出していた日系企業相手に電話線のコードを売り込んだことでした。日本で販売していた価格を仮に100円とすると、向こうは30円ぐらいで仕入れていた。だから最初は門前払いです。日本の工場に『20円で作ってくれ』と言っても、それは無理ですと跳ね返される。しかたがないので台湾、香港のメーカーを回るなどして材料から探し、中国で工場を立ち上げ、そこで作ったものを海外の日系企業に販売しました」

「日本の工場で働く社員にしてみれば、海外に仕事を奪われるのではないかと不安になるでしょう。社内から反発されないよう、海外で作ったものは海外で売ることを徹底しました。しかも、売り先はそれまで日本ではお付き合いのなかった取引先に限りました。日本の仕事は1つも減っていないよね、ということで現場に納得してもらいました」

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