アイデアノートの逆説 無用の閃きがくれる豊かな時間
立川吉笑
落語家という仕事は「自分の落語」を磨き続けることが活動の全てとも言える。一席の落語を長い時間をかけて磨き上げていく、その年輪が芸の説得力につながり、その鍛錬の連続が名人へとつながっていくのは確かだ。だけど僕には、それと同じくらい興味をもっていることがある。これまで誰もやってこなかった色々なことを形にしていくことだ。
だからそういう活動には自覚的に取り組んできた。この春に始めた『クイックジャパン』という雑誌での連載も、これまでの落語家になかった僕の新しい動き方、そのトライ&エラーを毎回書いてほしいとの依頼を受けたものだ。もしかしたら僕の活動ぶりがオファーの理由のひとつだったのかもしれない。10年ほど前、熱心に読んでいた雑誌だったから、声をかけていただけたことも、とてもうれしかった。
雑誌に連載できるほど「新しい動き方」を自分はやれているのか、やっていける見通しはあるのか。そこで改めて自分と向き合ってみたが、思っていた以上にやりたいことがたくさんあって、どうやら今年1年は続けられるくらいの企画案は用意できることに気づいた。それは僕がアイデアを書きとめてきたノートの大切さを再認識することにもつながった。
僕は喫茶店で考えごとをするのが好きだ。色々な締め切り案件の谷間の時期に、あてもなくノートを開いて、どういうことをやれたら楽しそうか妄想しながら書きなぐっていく。思いつくことと実際に形にすることには雲泥の差があって、基本的には思い描いたことのごく一部しか実行することはできない。
だからアイデアの種を残しておくノートを開いたら、まだ形にできていない企画案がたくさん出てくる。たまに見返すと「今ならできる」と思える企画案をみつけることもあって、そのときは実行に向けて動く。思いついてメモはしておくけど、落語から離れすぎていて、実行の優先順位が低いアイデアというのもある。今回はそんな企画の種について書いてみたい。
■スマホから「街角コメンタリー」
僕は「イングレス」とか「ポケモンGO」のようなスマホゲームが好きだ。実際にある建物や場所とゲーム世界とがリンクしているもの。アプリを通すことで、普段何気なく歩いている道が違って見え、グッとくる。そこで思いついたのが、美術館の音声ガイドみたいに、街並みについて語る声がスマホを通して聞こえてきたら楽しいなぁということ。たまに前座のころ住んでいた高円寺に行くと、建物一つ一つから当時の記憶が蘇(よみがえ)ってくる。北口のマクドナルド、よく夜中にネタを覚えに行ったなぁ。ロータリーのベンチ、ゾマホンさんがママチャリのチェーンを直しているところを見たなぁ。南口の時計の下の植え込み、酔っ払って転んで腕を擦りむいたなぁ。早稲田通り沿いのコインランドリー、夜中によく洗濯したなぁ、とか。
僕にとって何の変哲もないただの曲がり角も、どこかの誰かにとっては大事な思い出がある特別な曲がり角かもしれない。それこそ、例えばみうらじゅんさんが歩く高円寺と、僕が歩く東京・高円寺では見え方が全然違うはずで、みうらさんの目には高円寺の街が一体どんな風に映っているのか知りたい。他者を通して日常を再確認することで、退屈だと思っていた当たり前の風景が少しは楽しいものに見えてくるかもしれない。
無理やり落語と連動させるなら、上野や浅草界隈(かいわい)など、落語にもなじみのある土地の話を色々な師匠方に吹き込んでもらい、その場所に来た人だけがアプリを通してその音源を楽しめるようにしてもいい。師匠方が若手時代に暮らされていた街での思い出も聞いてみたい。「この人とこの人の音声ガイドを聞きたい」とユーザーが登録しておくと、特定の場所を通ると通知がきて、コメンタリーを聞けるアプリがあったらいいなぁ。
■「リアルな架空世界」で俳句
年々、俳句への興味が増している。落語と同じように省略の美学に貫かれた世界。とても自分に良い句は思いつけそうにないけど、心を揺さぶった後にふわっと深い余韻で包んでくれるような句が好きだ。
そこで思いついたのは、物理学者に監修してもらった架空の世界、つまり「太陽が2つある世界」など、いわば「リアルな仮想空間」での俳句づくりだ。現実に宇宙のどこかにありそうな架空世界の景色や音などを、何かの装置で見たり、感じたりして俳句にしてもらう。
太陽が2つあると、風はこんな感じに吹いて、こんな花が咲くといったシミュレーションをもとにした架空世界に、スゴ腕の俳人が入り込んだらどんな句が生まれるだろうか。2つの太陽の位置関係によって、1つのモノの2つの影が重なる瞬間なんかがあって、それは何だか劇的な感じがするから俳句のお題になりそうだ。もともと季節の移ろいや、ふとした瞬間を切り取るプロフェッショナルの俳人。よーいドンで、全く新しい架空世界に同時に入り込むことで、「あっ、ここに季節の移ろいを見いだすことができるのか」とか「この瞬間を、そんな目線で捉えることができるのか」とか、現実世界では浮かび上がらなかったそれぞれの視線の鋭さが感じられるかもしれない。
こうした企画は落語家としての僕にとっては優先順位が低いからノートの中だけでそっと忘れられていくものだ。どちらにも共通するのは、複眼的に日常をみるきっかけになりそうだということ。無自覚だったけど、きっとそういうものに自分は興味があるのだろう。思えば本業の落語も、少しでも世界の見え方が変わるきっかけになればと思いながらネタを作っているところがある。
時間を気にせず、自由に考えごとをすると色々なものが浮かんでくる。その中で落語家としての活動に直接転用できるものや、新作落語に昇華できそうなものの一部だけが、第三者の目に触れる可能性がある。圧倒的に多いその他の閃(ひらめ)きには、その機会はない。何だかもったいない気がするけど、実感は違う。自分にとって直接役に立たないことを考える時間は、むしろ豊かですらある。
本名、人羅真樹(ひとら・まさき)。1984年6月27日生まれ、京都市出身。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。2010年11月、立川談笑に入門。12年04月、二ツ目に昇進。軽妙かつ時にはシュールな創作落語を多数手掛ける。エッセー連載やテレビ・ラジオ出演などで多彩な才能を発揮。19年4月から月1回定例の「ひとり会」も始めた。著書に「現在落語論」(毎日新聞出版)。
これまでの記事は、立川談笑、らくご「虎の穴」からご覧ください。
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