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女子就活、激動の平成 いまや内定率は男子をリード

2019/4/23

90年代、バブル崩壊を境に就活は氷河期へと突入した(1993年、都内の合同会社説明会)

平成の時代、働く女性を取り巻く環境は大きく変化した。初期には、景気低迷による採用絞り込みの影響をより大きく受けた局面もあった。一方で、30年の間に働く女性の数は着実に増え、勤続年数が延び、仕事の幅も広がった。平成時代に就職した女性たちの実像や経験を、2回にわたり紹介する。

■「女子はいらない」門戸狭く

平成の30年間にわたる就職活動は激動の歴史だった。1986年に男女雇用機会均等法が施行され、女子採用の門戸が広がったが、バブル崩壊で就職氷河期に。20世紀の終わりごろまで、女子学生の就職事情は経済の動向に大きく翻弄されていた。

この30年間で女子学生の採用に積極的な企業が増えた(3月、千葉市美浜区の幕張メッセ)

「男子には就職先から資料が送られてきても、女子には届かない」「面接で『女子はいらない』と言われた」「就職セミナーの受け付け開始が男子より2カ月遅かった。女性を採用すると言っていても男女格差は日常茶飯事だ」――。

就職情報大手マイナビ(東京・千代田)が発行していた冊子「月刊コミュニケーション」を見ると、90年代初期の女子就職座談会ではこんな苦労話が飛び交っていた。

平成の就活はバブル景気を追い風に超売り手市場から始まった。リクルートによると、91年卒の求人倍率は2.86倍の高水準。ただ、売り手の恩恵を受けていたのは男子学生ばかり。女子は苦戦を強いられていた。

平成になる前の86年、男女雇用機会均等法が施行され、女子就活が転機を迎えた。企業は新たに大卒女子の採用を開始した。男子と同じ業務をこなす「総合職」と、事務作業が中心の「一般職」のコース別人事制度を導入する企業が増えた。それまで女子学生の就職は結婚前まで働く「腰掛け型」が一般的だったが、長期的なキャリアを志向する道が開けた。

ただ、現実には女子の総合職の門は予想以上に狭かった。当時は自宅に就職情報誌が届き、企業に資料請求をするのが慣例。就職情報大手、ディスコ(東京・文京)の武井房子上席研究員は「女子の採用情報を載せている企業が少なく、女子向けの冊子は男子より薄かった。資料請求はがきも、男子は切手不要なのに女子は違うなど、入り口から男女の就職格差が大きかった」と話す。

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