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「足元しっかりと見らんと」 姜尚中氏を打つ母の言葉

2019/4/25

――本のタイトルにもなっていますが、最近はよくお母さんの言葉を思い出すようになったとか。

母は8年ほど前に亡くなったのですが、山で暮らすようになってからは特に、母の言葉や生き方が自分の心身の土台を作っていることを強く体感するようになりました。40~50代の脂の乗り切った頃には、ある意味時代遅れで陳腐にすら思えた母の言葉に、近頃ものすごくリアリティーを感じるようになったのです。

母は学ぶ機会を得られず、文字の読み書きが不自由でした。ある意味「理」は不足していたけれど、生きた知恵や情はとても豊かだった。「人は食べんとダメばい」「足元をしっかりと見らんと(見ないと)いかんよ」。母の言葉はどれも戦中戦後の厳しい時代の中で得た生きた知恵であり、それを息子である私に懸命に伝えてくれた。その言葉が今の自分を生かしている、と強く感じるようになったのです。

――何が起きるか分からない時代だからこそ、「足元をしっかりと見る」ことは一層大切になっているように感じます。

その通りだと思います。でも今の日本には、見るべきものを直視せず、これまでと同じやり方ですべてうまくいく、むしろそう振る舞った方がいい、という圧力が働いているように感じます。

東アジアの秩序が大きく変わろうとしていることに薄々気付きながらも直視しない。経済成長にはイノベーションが必要だと知りながらも、変化できない――。一方で、現状維持に固執する危うさも感じているがゆえに、「変わるべきだ」という意見を極端に嫌がる。その思考停止が、社会の停滞を招いているように思えてなりません。

日本は自然災害のリスクにも直面しています。いつカタストロフ(大惨事)があっても不思議ではない現実を直視するのは確かにつらい。それでもリスクから目をそらさず、マイナスをできるだけ減らすために、そして少しでもプラスの方向にもっていくために、行動を起こすことが大切だと思います。それこそが、不安な時代を生き抜くための知恵ではないでしょうか。

『 母の教え 10年後の「悩む力」』
姜尚中著/集英社/840円(税別)
都会での生活をリセットし、5年ほど前に長野県の高原に移住した著者。畑を耕し、四季折々の花を愛で、夫婦で静かな暮らしを楽しむ中で、それまでとは違ったまなざしで世界や時代を見つめるようになる。今は亡き母、恩師、親友など自らを支え、育ててくれた大切な人たちが残してくれた言葉や教えが鮮やかに心によみがえり──。ベストセラー『悩む力』から10年。自身の来し方と行く末を、かつてなく素直な気持ちでつづったエッセイ。
かん・さんじゅん
1950年熊本県生まれ。政治学者。東京大学名誉教授。現在は熊本県立劇場館長兼理事長、鎮西学院学院長を務める。著書はシリーズ累計130万部を超える大ベストセラー『悩む力』『続・悩む力』のほか、『心の力』『悪の力』『漱石のことば』など多数。小説作品に『母(オモニ)』『心』があり、いずれも30万部を超えるベストセラーとなっている。

(撮影/川田雅宏 取材・文/佐藤珠希)

[日経マネー2018年12月号の記事を再構成]

母の教え 10年後の『悩む力』 (集英社新書)

著者 : 姜 尚中
出版 : 集英社
価格 : 907円 (税込み)

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