将来も見据え、大学3年のときには開発コンサルの会社で1年間アルバイトをしました。上司の海外出張の航空券を予約するなどの事務が多かったのですが、日本の教材をタイ向けに作り替えるなど、教育関連のプロジェクトにもかかわらせてもらいました。そこで実感したのは、開発関連の仕事をするなら世界銀行や国連などの国際機関だ、ということ。あこがれました。

毎年、東京や大阪でトークイベントを開き、マザーハウスの理念や今後の挑戦について自ら伝えている

実は、途上国支援をやりたいと考えたのは、ポジティブな理由だけではなかったんです。すでに活躍しているSFCの同級生たちを見ると、どの分野にもたけている人がいて「日本には自分の居場所はないのでは」と悩んでいました。途上国なら何か自分の役割があるかもしれない。それが教育とつながればいい、と。

漠然と「国際協力をやりたい」と夢見つつ、時期が来て就職活動を始めました。でも、ボロボロ落ちるんです。本当にやりたいわけではないから、見透かされますよね。よく知りもしない企業で「第1志望です」なんて、口が裂けても言えない。面接でうまく話せず、商社や日用品メーカー、コンサルティング会社など全滅でした。

それでも、SFCは何でも好きなことができる自由な環境で、まさに独立自尊で自らの道を切り開いている先輩たちやクラスメートがいたのが大きかったと思います。決まりきったレールがない中にポツンと自分がいて、個性とは何か、自分とは何かを問い続ける4年間です。だから、何をしたいのか分からない迷子のまま就職活動に流される学生も多かったのですが、私はみんなが一斉に同じことをするということに子どものころから違和感があったので、卒業してすぐ大企業に就職することだけが幸せなの?と疑問に思っていました。こんなとき、たまたま募集のあった米州開発銀行(IDB)のインターンに採用されました。

4回面接があって、英語は苦手だったけど、ここでは思いを伝えられたようです。就職が1年遅れたっていい。まずはここを見てからにしよう。こう決断できたのも、とびっきり個性的な学生が多かったSFCだったからかもしれません。選択肢は見えてないだけで、実はたくさんあるのだと思います。もともと与えられた枠の中だけで考えるということをあまりしない性格です。他の大学に行っていたら中退していたでしょうね。

「現場を見たい」という思いで、バングラデシュの大学院への進学を決めた。

国際会議にオブザーバーとして出させてもらうなど、ワシントンのIDBでの仕事は刺激的でした。一方で、政治がすべてを決める世界です。あのビルの中で途上国の現実を考えるには、相当な想像力が必要だと気付きました。とにかく現場を見てみたいと思い、大学4年の4~8月にワシントンで働いた後、9月にバングラデシュに行きました。ネットでアジアの最貧国を検索したところヒットした国だったからです。