キャビア養殖をゼロから創業 アジア放浪からの着想金子コード(上)

窮地を支えた、2代目のチャレンジ

設備投資だけで年間4千万円以上かさみ、赤字を垂れ流していた医療事業部は、社内で「お荷物部署」と陰口をたたかれていた。そんな最中の90年、青山学院大学を卒業して入社したのが3代目の金子氏。一営業社員からのスタートだったので、当初は大企業に入社した同年代と比較して、悔しい思いもしたという。

「当時はバブル景気のまっただ中。大手に就職すればいきなり50万円、60万円のボーナスをもらえた時代、私がもらったボーナスは10万円にも満たなかったですから、うらやましい半面、今に見ていろという気持ちにもなりました」と語る。

入社すると間もなくバブルは崩壊し、電話線事業が大赤字を出して、会社が傾きかけた。当時、会社存続の命綱になったのは、2代目が参入を決断したカテーテルチューブだったという。

「銀行に電話線事業だけならお金は貸せないけれど、医療事業があるので融資しましょうと言われました。ただし、医療事業が黒字化したのは2002年ですから、時間もかかりました。今では売り上げの7割以上を稼ぎ出し、電話線事業に代わる主力事業に成長しています」(金子氏)

最初から決めていた「超長期政権」

金子氏は27歳で単身、シンガポールに派遣された。その際、父親である2代目にはこう言われたという。

「失敗したら、お前の居場所はないからな」

27年間の社長人生を、9年間ずつ3つのステージに区切って考えている

シンガポールの合弁会社ではゼロから販売先を開拓した。新たな生産拠点として中国工場を立ち上げる経験も積んだ。金子コードの社長に就任したのは、38歳だった2005年だった。金子氏はその際、密かに「65歳まで社長をやる」と目標を定めた。27年間の社長人生を3つのステージに区切り、最初の9年間で売り上げ規模の拡大や財務強化、グローバル化などを達成すると心に決めた。

社長に就いた当時、売上比率で言えば電話線事業が75%に対し、医療事業は25%にとどまっていた。腹をくくって、わずかながらも黒字化していた医療事業に投資を続け、社長就任から約14年間で電話線と医療分野の売上比率をほぼ逆転させた。05年当時、わずか2.6%だった営業利益率も、18年3月期は17.1%にまで改善している。

そんな金子氏が社長就任から9年を経て着手したのが、チョウザメの養殖を柱とするキャビア事業だ。新規事業を任されたのは、現食品部部長の中村秀憲氏。キャビア事業を起こすにあたり、電話線事業の責任者だった中村氏を、既存事業から完全に外すと、金子氏は決断した。

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