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中銀の独立性が侵される時 歴史に学ぶ(平山賢一) 東京海上アセットマネジメント執行役員運用本部長

2019/4/23

そのため政府の圧力が強化される30年代後半以降も金融市場は安定を保ち、株式市場では株価が上昇傾向で推移したわけです。この間の状況を数値で確認するために、指数化を試みた拙著「戦前・戦時期の金融市場」で、そのデータで確認してみましょう。

図は1924年6月から44年11月までの日本の金融市場に投資した場合、どのような投資成果を得ることができたかを示したグラフ(1924年6月=100)です。1924年6月といえば関東大震災から数カ月たったころ。当時の日本は、銀行の取り付け騒ぎで世間が騒がしかった昭和金融恐慌だけでなく、その後の世界恐慌の影響も受けて株価は下落。さらには金解禁の影響で30年10月に株価は奈落の底にたたき落された時期です。

■奇妙な安定とその限界

この危機からの脱出を図るため、政府は長期国債利回りを低下させ、政府や企業などの資金調達が容易になるよう市場介入を強めました。この政策が奏功し、物価指数が低下するデフレ基調から脱し、国債指数(国債に投資した時の成果を示す指数)も定規で線を引いたように、安定して上昇するようになったのです。

配当込み指数でみると株価は24年以降、約20年間で4倍近くまで上昇したことになります。政府が圧力をかけ金融市場に介入するということは、これほどまでに大きな影響を与えるわけです。だからこそ投資家は、政府やその影響を受けた中央銀行には「逆らう」べきでないとされるのでしょう。

いわば「劇薬」である政府の介入は度を越すと破綻することも歴史は教えてくれます。資源が乏しいにもかかわらず、資源大国米国に闘いを挑んだ戦前の日本。国内経済の安定のために、物価水準にも過剰に介入してしまいます。資源や原材料が極端に不足しているにもかかわらず物価を抑え込むため、金融市場を舞台に長期国債利回りを抑え込み、株価も支えました。その矛盾は終戦とともに一気に噴き出します。人為的な金融市場の安定がもたらした投資成果も、急激な物価上昇の前に雲散霧消してしまいました。

つまり、金融市場というものは、ある程度までは政府の圧力に従って良好な状況に誘導することはできますが、その圧力や介入の度が過ぎ長期にわたれば、矛盾が一気に噴出してしっぺ返しをする。そうもいえそうです。政府の介入にどこまで付き合うか――。その見極めは今日の投資家にとっても重要という歴史的教訓なのです。

プロのポートフォリオは運用に精通したプロが独自の視点で個人投資家に語りかけるコラムで、原則火曜日掲載です。
平山賢一
東京海上アセットマネジメント執行役員運用本部長。1966年生まれ。横浜市立大学商学部卒業、埼玉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。東洋大学経済学部非常勤講師。30年にわたり内外株式や債券をアセットマネジメント会社で運用する。著書に「戦前・戦時期の金融市場」「振り子の金融史観」などがある。

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