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歌手・古内東子さん 大学を中退、初めて父親に反抗

2019/4/26 日本経済新聞 夕刊

1972年、東京都出身。93年にデビュー。96年にシングル「誰より好きなのに」がヒット。切なさを秘めた恋愛ソングのカリスマ的存在となる。昨年、デビュー25周年のベストアルバムを発売。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はシンガーソングライターの古内東子さんだ。

――お父様は近寄りがたい存在だったとか。

「真面目で寡黙。とにかく仕事一筋の人でした。好き嫌いとか、怖いとかではなく『外で仕事をする人』と思い込んでいました。母は父を立てて、家事を完璧にこなす専業主婦でした。両親と姉の4人家族。父が働き、母が家を守る。これぞ、『ザ・昭和の家庭』だと納得していました」

――お父様とは会話することも少なかったのですか。

「何か悩みや相談があればまずは母。父への会話は母が間に入る伝言ゲームのような感じでした。父は女性ばかりの家庭で肩身がせまく、娘と話をすることが恥ずかしかったようです。その頃は厳しい家庭だと思っていましたが、実は自由奔放にさせてくれていました。勉強や習い事も強要されたことはありません」

――音楽の道に進んだのはお母様の影響ですか。

「母がピアノを教えていたことでピアノに興味を持ったことは事実です。メロディーを奏でるのが楽しくて仕方なかった。この時も母は自由に弾かせてくれました。娘の興味があることをとことん支援する。簡単そうに見えますが、我が子を信頼しているからできたのでしょう。親子関係の根幹を知りました」

――お父様は音楽活動をどうみていたのですか。

「音楽の仕事が忙しくなり大学の退学を決めた時です。父から『大学は卒業しなさい』と言われて、初めて反抗しました。後にも先にも父と激しくやり合ったのはその時だけです。娘の才能や意欲を否定したのではなく、娘の将来が不安だったのでしょう。実際に中退した後も没交渉を回避してくれたのは『やりたいことをしなさい、私たちは応援するから』という母の一言。今思えば、自分の意志を貫き通した人生の転機です」

――自身が母親となり家族の見方は変わりましたか。

「家族って決まった形がない集合体なんだと思います。父親や母親の役割もおのおの。育児はさらに複雑です。4歳の息子とはできるだけ家族の時間を過ごすようにしています。ツアーで全国を回る時も一緒です。大人の都合で連れ回してごめんねと思いますが、母親のありのままの姿を知ってほしいという気持ちもあります」

「こうして仕事を続けられるのも父の不器用な愛と母の力強い慈しみが支えてくれたからだと感謝しています。ただ、私は私で女性の型を築いていくつもり。今の仕事をやめるつもりはありません。育児、仕事、主婦と多忙ですが、おかげで心は老化せず、詩(うた)が創れます」

――ご両親はコンサートを必ず鑑賞されるそうですね。

「さすがに年を取りましたから地方公演は無理ですが、都内は足を運んでくれます。でも、最近は私の歌でなく孫目当てかもしれません」

[日本経済新聞夕刊2019年4月23日付]

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