終着地はチェルノブイリ 30年家系探ったユダヤ教徒

日経ナショナル ジオグラフィック社

2019/4/24
ナショナルジオグラフィック日本版

チェルノブイリでハシディズム運動を開始した祖先の墓に泣きながら祈りをささげるイッツ・トワーズキー氏(PHOTOGRAPH BY PIERPAOLO MITTICA, PARALLELOZERO)

米国ニューヨーク生まれのイッツ・トワーズキー氏は自身の家系の調査に30年の時間と私財を投じた。そうして自身を含め全8世代、5万人以上をそのルーツであるチェルノブイリと結びつけると、現地に飛んだ。イタリアの写真家ピエルパオロ・ミッティカ氏の写真で、トワーズキー氏のルーツ探しの最終章を見ていこう。

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チェルノブイリは1986年、壊滅的な原子力発電所事故に見舞われた。「原発事故が起きたとき、ニューヨークのユダヤ教徒の多い地域では、皆がチェルノブイリを知っていました」とトワーズキー氏は話す。

チェルノブイリの放棄されたシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を見学する一団。ハシディズムの生誕地であるウクライナは、ヨーロッパで最もユダヤ教の遺跡が多い国の一つだ(PHOTOGRAPH BY PIERPAOLO MITTICA, PARALLELOZERO)

原発事故のはるか以前、チェルノブイリは宗教的情熱で人々の心をとらえていた。この町は18世紀、「ハシディズム運動」と呼ばれるユダヤ教超正統派の運動が勃興し、盛んになった土地だったのだ。のちにチェルノビル派と呼ばれる運動をこの地で開始したのが、レベ・メナヘム・ナホム・トワーズキーだ。ハシディズムの創始者バアル・シェム・トーブの弟子であり、今回の主人公トワーズキー氏の直系の祖先である。

メナヘム・ナホムの息子モルデカイのもとには、その教えを聞き、祝福を受けるため、一帯から何千もの人々が集まった。モルデカイは装飾品に囲まれ、大邸宅で裕福な暮らしを送っていた。モルデカイの息子8人全員がウクライナでラビ(指導者)になり、その子供たちもラビになった。こうしてチェルノビル派は続いていく。

1917年のロシア革命、1919年のポグロム(ユダヤ人の大量虐殺事件)、第二次世界大戦によって、チェルノブイリのユダヤ人コミュニティーは破壊された。しかし現在、数千人の子孫がポーランドや米国、イスラエルで暮らしている。ウクライナでは約1500のユダヤ遺跡が見つかっているが、実際の数はもっと多いはずだ。

チェルノブイリのかつてのシナゴーグの内部(PHOTOGRAPH BY PIERPAOLO MITTICA, PARALLELOZERO)

トワーズキー氏の壮大な調査の目的は、この重要な祖先を突き止め、全子孫の系図を作成することにあった。「私にとっては、探求の旅でした」とトワーズキー氏は説明する。「誰でもいいから話をするため、私はソ連時代にもウクライナに行きました。当時はインターネットも電子メールもありませんでした。手紙は、電話帳で調べて書きましたよ」

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