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終着地はチェルノブイリ 30年家系探ったユダヤ教徒

日経ナショナル ジオグラフィック社

2019/4/24

ホロコーストの犠牲となったチェルノブイリのユダヤ人たちの集団墓地に建てられた記念碑。1917年のロシア革命、1919年のポグロム、第二次世界大戦によって、チェルノブイリのユダヤ人コミュニティーは破壊されていった(PHOTOGRAPH BY PIERPAOLO MITTICA, PARALLELOZERO)

トワーズキー氏は世界各地を回り、キエフに保管されている18世紀の国勢調査の記録、ソ連国家保安委員会(KGB)のファイル、イスラエルにあるホロコースト生存者たちの証言を調査。さらに、31カ国に散らばる親族のY染色体DNA検査を行った。そして、30年におよぶ系図調査プロジェクトの末、いよいよチェルノブイリを訪れるときが来た。

トワーズキー氏の祖先にまつわる重要な場所の一つが、メナヘム・ナホム・トワーズキーの墓だ。停止した原発を中心とするチェルノブイリ立入禁止区域の中にある。ちなみに、事故を起こした原子炉は、今も鋼製のシェルターに閉じ込められたままだ。

原発事故からわずか2年後の1988年、ニューヨーク在住のラビ・シルキス・レイベルの助けで、墓の正確な場所が判明した。「立ち入りには米国政府の特別許可が必要でした」。ハシディズムに貢献した偉大な神秘主義者の墓を突き止めるため、レーダー装置で地中を調べた。墓は地面のすぐ下に埋もれていた。

1986年の原子力発電所事故によって、チェルノブイリの街は廃墟と化したが、古くからのユダヤ人墓地にある多くの墓は事故以降につくられたものだ。この聖地にルーツを持つユダヤ人の多くが、ここに埋葬されることを望んでいる(PHOTOGRAPH BY PIERPAOLO MITTICA, PARALLELOZERO)

ラビ・シュミエル・グルーバーは「私たちは歌を歌い、ろうそくをともし、賛美の詩を朗読するため、チェルノブイリに行きます。旅の一番のハイライトであり、とても感動的です」と話す。

同氏はこの20年間に10組以上を、かつてのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)や墓地に連れていった。ほかにもユダヤ教の遺跡をいくつか訪れるが、空っぽのプールや廃墟となった学校、避難区域の記念碑といった年間6万人ともいわれる観光客がよく行く場所は避ける。

「多くの人が初代レベ(ハシディズムの指導者)の墓に行きたがりますが、なかなか実現しません。ウクライナのお役所仕事が原因です」とラビ・グルーバーは嘆く。

数十年の長きにわたってチェルノブイリにとりつかれてきたトワーズキー氏は、調査の結果わかった、同じルーツをもつ5万人分の名簿とともに、ハシディズム運動をこの地で始めた祖先の墓前に立った。

今回撮影したミッティカ氏は、自らも原発事故後の知られざる物語を記録するため、2002年以降、20回以上もチェルノブイリを訪問している。その氏は、次のように振り返る。「私がチェルノブイリ立入禁止区域で見てきた中でも、おそらく最も珍しい光景でした。真冬に黒い帽子をかぶった人々が森の前の墓地で話したり、祈りをささげたりしていました」。

毎年、レベ・メナヘム・ナホム・トワーズキーの命日を記念し、巡礼者たちがハシディズムのリーダーの墓やシナゴーグなどの場所で祈りをささげる。このシナゴーグは今や名もなき廃墟だが、コミュニティーの中では生き続けている。写真は2017年に初めて訪問したときのイッツ・トワーズキー氏。「合わせて1000人を連れてきたグランド・レベもいます。彼の命日に関心がある人もいれば、ただ祈りたいだけの人もいます。しかし、わかると思いますが、ここに来るのはそれほど簡単なことではありません」(PHOTOGRAPH BY PIERPAOLO MITTICA, PARALLELOZERO)

「写真を撮りたくなるような素晴らしい雰囲気でしたが、そこは世界で最も危険な立入禁止区域です。彼らの美しさと、汚染された土地が実に対照的でした」とミッティカ氏は語った。

次ページでは、トワーズキー氏の旅に同行したミッティカ氏の写真12点を紹介する。

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