帝国ホテルや欧州に仲間 「ラガー飯」にもトライ
洋食料理家・三国清三さん
18歳で上京した三国シェフの修業の場となった帝国ホテルは、世界に飛躍するチャンスをつかんだ舞台だ。そこで出合ったラグビーは仲間づくりにもつながり、その経験は渡欧後も生きた。同じポジションのスター選手が親戚だったことを知った近年は、さらにラグビーへの思いを深めている。
――ラグビーを始めたきっかけは。
「帝国ホテルで洗い場を担当しているときの先輩に『オッパラさん』と呼ばれていた大学ラグビー部のOBがいてね。僕が上京する前にサッカーをやってたことを知ると『おまえ、サッカーやってたんなら、ラグビーやれ』と。人数集めだったんだけど、メンバーはほとんど料理人だし、仕事でも目をかけてもらえるようになったね。ジャパン(日本代表)に似たジャージーを着て試合に出ました」
――どんなプレーヤーでしたか。
「ポジションは(俊足が選ばれることが多い)右ウイングで『球をもらったらとにかく走れ』と。サッカーの経験があったから、左右に走ったり、フェイントかけたりして、面白いようにディフェンスを抜いた。ごぼう抜きの独走トライもしたよ。最初はよくルールもわからず、(トライのために)『僕、どこにボール置けばいいんですか』って聞いていたくらいだったけど」
「ラガーマンはまっすぐしか来ない選手が多いでしょ。だからさっとよけられた。僕は身長165センチメートルくらいと小さかったから、タックルがおっかない。やるのも受けるのも極力、避けてました。体も細かったしね。今は相撲部屋に行こうかという体形だけど。サッカーで鍛えていたこともあるけど、ケガも全然しなかった」
――欧州での修業時代も続けましたか。
「欧州では三ツ星レストラン同士の対抗試合があって、向こうも上手ばかりじゃないから必ずメンバーに入るわけ。そうすると、すぐ仲間になれて、仕事面でもすごくプラスになった。三ツ星と言ってもラグビー中継があるというとみんな営業そっちのけ。テレビを厨房に入れて、見ながらなんだから。とにかくヨーロッパ人はラグビーやサッカーが大好きだね」
――サッカーとの違いをどうみていますか。
「ラグビーで一番面白いなと思うのは、ボールを後ろに投げながら、前に進むところ。だれがこんなバカなことを考えたのかとおかしいけど、この不自由さが、なんか楽しいし、いいんだよね」
「常にぶつかりあって体を張るのは、ボクシングみたいなもんですよ。ボクシングは殴り合いだけど、ものすごく頭脳や鍛錬が求められる高度なスポーツ。ラグビーは殴ることはないけど、それに近い。柔道や相撲にも似ているよね」
「ラガー飯」を考案
――ラグビーW杯2019組織委員会の顧問として、どんな活動をしていますか。
「いま『ラガー飯』という献立を提案している。各地にキャンプなどでやってくる選手に、どんな食事を提供すればいいのか、イベントなどで発信を始めた。選手は一日に5千キロカロリー前後が必要になるけど、1食2千キロカロリーもあるメニューを朝昼晩と考えるのは難しい。それで地方にたくさんある低脂肪高たんぱくのシカ肉などを材料にしたレシピを用意しました。カロリーを3分の1に落とせば、一般向けにも出せるしね」
――観戦に訪れる外国人をもてなすときに気をつけることはありますか。
「外国人はその土地の本当の暮らしを知りたがるから、その土地ならではのホスピタリティーが一番大事なんだ。宗教への配慮などは必要だけど、言葉とか習慣とか、あまり気にしすぎない方がいい」
「W杯開幕の10カ月後には東京五輪が始まる。僕は東京五輪・パラリンピック組織委の顧問もやっているので、W杯で料理や接客を成功させて、いい流れをつくりたい」
――元日本代表の名ウイングで、明治大学の主将や監督を務めた吉田義人さんと親しいそうですが、どのようなご関係ですか。
「数年前に予約が入って『あのスーパースターの吉田さんが来るんだ』と待ち構えていたんですよ。そしてやってきた吉田さんから『三国さん、親戚なんです』と言われて『ええーっ』て」
「吉田さんのお母さんが僕のふるさとの北海道増毛町の三国家から嫁いでたんですね。吉田さんが秋田に帰省したとき、たまたまテレビに僕が映り、彼のおじさんが『清三とは親戚だ』と話したそうです。それで今は吉田さんの後援会の副会長もやってます」
――吉田さんが1992年に世界選抜としてニュージーランド代表からトライしたシーンは世界を驚かせ、いまも動画サイトで見られます。どんな印象をお持ちですか。
「あのダイビングトライは、何度見てもすごい。『よくボールを落とさなかったね』と聞いたら、吉田さんは『それは気をつけてました』って。子どもたちはみんなあこがれたんだよね」
――W杯にのぞむジャパンへの期待は。
「決勝トーナメントまで行ってもらわないと困りますよ。やっぱりジャパンが勝ち進んでいくことに全体の盛り上がりがかかっている。きつい戦いだと思うけど、ふんばりのきく低い姿勢と持ち味のスピードを発揮してほしいね」
「それにしても(建設中の)新国立競技場でやりたかったよね。もともと五輪ではなくラグビーW杯のための改修計画だったのに(予算問題などで完成が間に合わなくなり)惜しいよね。僕なんか今からでも間に合うんじゃないかと思ってるよ」
1954年(昭和29年)8月、北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで料理人として修業。74年に帝国ホテルの村上信夫料理長(故人)の推薦で駐スイス日本大使館の料理長に就任した。さらに欧州の三ツ星レストランで修業を重ね、83年に帰国。85年、東京・四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業し、オーナーシェフに。2000年の九州・沖縄サミット蔵相会合では総料理長。15年に仏レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ受章。現在は東京五輪・パラリンピック組織委員会とラグビーW杯2019組織委員会の両方で顧問を務めている。
(聞き手 天野豊文 撮影 首藤達広)
過去の「W杯だ!ラグビーを語ろう」はこちらからご覧ください。
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