なんでハトがハイヒールに? 妄想工作家が作る新世界
乙幡啓子さん
ホッケのひらき型ケースやハトのデザインのハイヒールなど、クスリと笑えるプロダクトを次々と生み出す妄想工作家、乙幡啓子さんの仕事場を訪ねた。とっぴな肩書にたどり着いたきっかけは、ライターとして書くネタに困って苦肉の策で作った工作だったという。半径数メートルの身近な人から「面白いね」と言われるのを大切にする乙幡さん流の仕事術を聞いた。
「妄想工作家」とはどういうオシゴトですか?
私が日々暮らす中で「こんなのあったら面白そう」と頭に浮かんだ妄想をデザインして手作りするオシゴトです。「妄想工作所」として、ちょっと笑っていただけるような作品を多い時で月3回程度発表します。制作プロセスはウェブメディア「デイリーポータルZ」で公開しています。
最初のヒット作は、ホッケやサンマなど魚の開きの写真をプリントした「魚ケース」シリーズです。8年ほど前に「ホッケース」(「ホッケ×ケース」の意味)という名前で発表したのですが、大きな反響があり、メーカーと組んで量産するようになりました。
最近の作品で話題になったのはハトとハイヒールから着想した「ハトヒール」でしょうか。普通に売っているハイヒールに羊毛フェルトなどでつくったハトをくっつけたものです。実は外国の方が私のことを靴職人と勘違いして、オーダーの問い合わせが来てしまったんです。量産ができるかどうか、メーカーさんと慎重に検討しています。
「妄想工作家」にたどり着くまでのお話をしてください。
直接のきっかけは"ネタ切れ"です。
手を動かすことが好きで、「職人」に対する漠然とした憧れはありました。でも、美大に進むほどの情熱は持てず普通の大学へ。ところが、競技ダンス部という体育会系の部活動に没頭してしまい、就活もぐだぐだでした。
卒業までに働く自分のイメージを固めきれなかった私は、通信系の小さな会社を選びました。結局、続いたのは10カ月。2社目のマーケティングリサーチの会社には7年いました。習い事や資格の勉強をやたらしていましたね。アロマ、靴作り、フォトショップ、コーチング、陶芸……脈絡なく、興味の向くままに"自分探し"に没頭していました。
30歳で会社を辞めてナレーター塾に通うも目が出ず。たまたま入ったのがアジア系のフリーマガジンを発行する会社で、ライターとしての活動を始めました。もともと読者として楽しんでいたウェブメディア「デイリーポータルZ」でも書かせてもらうようになったのですが、数カ月後にはネタ切れしまして。
ネタ切れ解消のための苦肉の策として、「段ボールで茶室を作ってみる」「トタンで六本木ヒルズを作ってみる」といった工作記事を投入したところ、編集長から褒めていただけた。そこから工作の道へと没頭していった感じです。
妄想工作家で食べていけますか?
収入の波が大きいので、複数の収入源をつくることが大事です。
私の場合は、自社サイトでの直販の売り上げが30%、作品づくりを記事にするライターとしての収入が20%、残りの50%は企業向けに雑貨商品を制作する企画料やライセンス収入というバランスです。これら全部合わせて、40代の平均収入くらいですが、今後は企業向けの企画を強化したいところですね。
悩ましいのは、「どこまで自分の手を使うか」という点。制作や販売を外部に委託すれば楽になるし量産も可能ですが、自作直販よりもガクンと実入りは減ってしまう。バランスの見極めは難しいなといまだに感じますね。
最近、試しているのはライブ配信型の直販です。インターネットのおかげで以前と比べてより広く多くの人に作品は届けられるようになったのはうれしい半面、「"バズった"からと言って"売れる"とは限らない」というのも私の気づきです。
例えば「SNSでこんなに話題にしてくれている人がいる!もしかしたら家が建つかも?」と浮足だったのに、実際の収入は会社員の平均ボーナスにも満たないくらいだった……なんていうこともありました。
ということで、消費の動向に合わせて、いくつかの収入源を柔軟に組み合わせていくのがいいのではないでしょうか。ちなみに、私が自分の作品を「アート」と呼ばない理由は、それをどう感じるかは受け手の判断に委ねたいからです。
乙幡さんが仕事で大切にしているこだわりとは?そして、若者に向けてアドバイスをお願いします。
誰かのまねをするのではなく、オリジナリティーを追求していきたいですね。私は美大を出た"正統派"ではないので、アートの歴史や文脈を踏まえての作品づくりはできませんが、その分、型にはまらず自由な発想ができるのが強みなのかなと思っています。私の作品を見た人がちょっとでも肩の力を抜いて、日常を面白がれるきっかけが作れたらなと。
私自身、20代の頃は「"働くこと"と"やりたいこと"の折り合いの付け方」にもんもんとしていましたが、今や妄想工作家として働くことが生きることであり、私自身となっています。自分が好きなことを、自分が納得する形で実現できていると、仕事は自然と楽しくなる。それを若い人にも伝えたいですね。
新作の「ベアリングマ」は、回転を支える軸受け部品「ベアリング」と「クマ」を掛け合わせた作品です。人気漫画『ゴールデンカムイ』に、クマがとった獲物をぶんぶん首で振り回すシーンが強烈に印象に残り、「首が360度回転するクマを作ってみよう」という着想につながりました。2月の展示会に13点ほど出品したのですが即完売となり、可能性を感じています。
最近は、若くして起業で成功する人やインフルエンサーの活躍も目立ちますが、インターネットの先にいる何百万人よりも、半径数メートル内にいる身近な人から「面白いね」「よかったよ」と喜んでもらえる仕事を目指すほうが、長続きするのではないかと思います。続けるには、自分自身が無理せずに楽しんでいることが何より大事ですから。
私がこの仕事をしていて一番喜びを感じるのも、「うちの子が妄想工作をまねて作ってみました!」と写真が送られてきたりと、楽しんでもらえている様子がダイレクトに伝わった時。展示会に足を運んでくれるお客さんもしかり、顔の見える関係で受け取れる反応を大切にして、「あの人が楽しんでくれるのは、こういう作品かな?」とアイデアを練るのは楽しいし、結果的にいい仕事につながるのかなと思います。
20代の頃、私は必死に自分にとっての"天職"を探していましたが、今でも「天職をつかめた」という感覚はありません。数年後には映像を作ったり、絵本を作ったり、また新しいことをやってみたいなと、妄想が膨らみ続けるからです。天職探しの答えが見つからなくても、妄想を続けていたら人生はずっと楽しめるのかもしれないですね。
22歳(1992年)津田塾大学国際関係学部卒業後、通信系の会社に就職。10カ月で退職し、マーケティングリサーチ会社に再就職し、7年勤める
30歳(2000年)会社を辞めて、ナレーター塾に1年通う。卒業後、ナレーターを目指すも芽が出ず、派遣で数社働いた後、フリーペーパー出版社でライター業を始める
33歳(2003年)「デイリーポータルZ」で記事執筆を開始。ネタ切れ解消のために書いた工作系記事が好評だったのを機に「妄想工作家」の道に
41歳(2011年)雑貨作品「ホッケース」がヒット。雑貨企画・工作プロジェクト「妄想工作所」を立ち上げる
45歳(2015年)第2回雑貨大賞受賞。現在、月2~3回ペースで新作をリリースする
(ライター 宮本恵理子)
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