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カリスマの直言

終わる平成 政府肥大化が招いた経済停滞(安東泰志) ニューホライズンキャピタル取締役会長

2019/4/22

下のグラフは日本、米国、中国の国内総生産(GDP)の推移だ。平成の30年間、財政を拡張し続けることで無理に成長を維持してきた日本と比べ、民間主導でイノベーションを進めてきた米国や、異質の経済体制ながら着実に経済に資金循環をさせてきた中国のGDPは大幅に増加した。

金融経済面での平成の反省としては、銀行や年金などに滞留する家計部門の金融資産、企業が内部留保している資金を民間の中で還流できず、国に差し出してしまったことだと言っても過言ではない。低金利は国民という貸し手から政府という借り主への所得の移転をもたらしており、大企業も株主や社員に内部留保を十分に解放していない。このような状況で個人消費が増えないのは当然だ。

■株価は史上最高値からバブル後最安値まで下落

三菱銀行のロンドン支店で勤務していた筆者が昭和天皇崩御の報に接したのは、金曜日の勤務が終わった後の、現地時間1989年1月7日の午前零時を過ぎた頃であった。7日は土曜日だったが、銀行の門前に半旗を掲げに行った記憶がある。そしてそれから数カ月、ロンドンの日系企業全般に宴席やゴルフなどは自粛となり、沈滞ムードが漂っていた。特に英国や米国では不動産不況に突入しつつあるときで、現地で勤務していた筆者は当時ロンドンに大量進出し、ユーロシンジケートローンで大きなシェアを占めていた地銀を含む邦銀を率いて大量の不良債権処理に臨むことになった。

しかしそんなときに世界で一人気を吐いていたのがバブル全盛期の日本だった。英国のテレビでは連日のように、日本で若い女性がディスコのお立ち台に上がる姿が驚愕の声と共に報道された。平成が始まった時3万円前後だった日経平均はその年の暮れには3万8915円87銭を記録、この史上最高値はいまだに破られていない。

ちなみに株価はその後バブルの崩壊で、わずか約9ヵ月後の1990年(平成2年)10月1日には一時2万円割れと最高値の半値近くに暴落、さらに2003年(平成15年)4月には7607円88銭、リーマンショック後の2008年(平成20年)10月28日には取引時間中ベースでバブル崩壊後の最安値となる6994円90銭を記録した。

■重荷になった不良債権処理

一方、地価も株価の後を追うように1991年(平成3年)頃から急速に下げ足を早め、商業地は1990年の高値から2005年(平成17年)までに約87%も暴落した(日本不動産研究所)。

戦後の日本経済は右肩上がりを前提に、そして間接金融を主体に発展してきた。日本の銀行は担保と保証に頼る貸し出しが基本であり、不動産価格の下落は融資先の債務超過、担保価値の下落などによって銀行の融資を大量に不良債権化することとなった。その結果、銀行の「貸し渋り」や「貸しはがし」が横行し、中小企業を中心に資金繰り難に直面することになった。銀行は日本独特の慣行であった持ち合い株式の含み益を持っていたので、しばらくの間は益出しの範囲で不良債権処理を行ったが、2000年(平成12年)に倒産負債総額が24兆円を超え、また株式含み益も枯渇するに至り、万事休した。その間、1997年(平成9年)には北海道拓殖銀行の破綻と山一証券の自主廃業、1998年(平成10年)には日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が一時国有化された。

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