福島・大七酒造 天ぷらにも合う力強さは時間が醸す
ぶらり日本酒蔵めぐり(10)
二本松城址(じょうし)、霞ケ城公園(福島県二本松市)ではこの季節、2500本の桜が咲きそろう。その城下町で宝暦年間から270年近く酒造りを続けているのが大七酒造だ。江戸時代から受け継ぐ製法「生酛(きもと)づくり」にこだわり、工程ごとに手間暇を惜しまない愚直な酒造りで異彩を放つ。
「宝暦大七」という商品がある。純米大吟醸。「ふねしぼり」と呼ばれる、圧力をかけずに醪(もろみ)の自重だけでゆっくりと絞った高級酒だ。それだけを聞くと、すっきりと研ぎ澄まされ、吟醸香が豊かな酒を想像する。ところが、大七酒造はこの酒に合う料理として「力強いメインディッシュ。ロックフォール(ブルーチーズ)も相性がいい」と薦める。
純米吟醸の「皆伝」は原料米が淡麗な酒を連想させる五百万石。だが、味わいはしっとりとしてまろやかだ。口に含むと粘膜に浸透し体に同化するかのような不思議な感覚にとらわれる。「ぬる燗(かん)でしゃぶしゃぶ、冷やで寿司(すし)。フランス料理のバターやクリームの風味にも合う」と万能だ。イメージどおりに一筋縄ではいかない複雑さが、大七酒造の酒にはある。天ぷらなど脂っこい料理にも負けない力強さが身上だ。
なぜそうなるのか。社長で10代目当主の太田英晴さんは「熟成」と「生酛づくり」という2つの要素を挙げる。どちらも手間暇のかかる工程だ。「時間という資源を惜しみなく使うことで、酒の持つポテンシャルを開花させられます」。熟成期間は短くて半年あまり、長いと10年にも及ぶが「最もいい状態になるまで待って、売り出します」。熟成すれば飲みごろも長期にわたるという。
大七酒造では熟成前に火入れ(殺菌処理)するので、その後は酵母や酵素の働きは止まる。では熟成で何が起きるのか。太田さんは「アルコール、水、味に関わる分子がより細かく絡み合って、口の中でまろやかに感じられるように変化するプロセスを経ます。溶け込んだ微量の酸素も何らかの作用をしているようです」と説明する。「絞りたてで、硬さを感じる酒には成長力を感じます。どこまでおいしくなるのだろう、と」とも話す。
生酛づくりも、時間がかかる。300年以上の歴史を持つ生酛に対して、明治期以降、普及した造り方が「速醸酛(そくじょうもと)」だ。速醸酛は醸造工程で酒を腐らせてしまう失敗を減らすために考案された。乳酸菌を添加することで、酒のもととなる酒母づくりにかかる時間を半減させた。速醸酛では2週間で終わる酒母造りに、大七酒造では1カ月かかる。
生酛づくりでは、蔵にすみついている乳酸菌が繁殖し働き始めるのを待つ。初期段階の酒母には空中のさまざまな菌が混在する。そこから菌の淘汰が起こり、最終的に乳酸菌が他の菌を死滅させる。乳酸菌が天下を取ったところで、他の菌には弱いが乳酸菌には強い酵母が働き始め、アルコールを生成する。この一連の過程を自然に任せるのが生酛づくりだ。
菌の淘汰で弱い乳酸菌は敗れ去り、強い乳酸菌だけが生き残る。二十数年前、大七酒造の乳酸菌から「酸性アルギナーゼ」という酵素が発見された。アルギニンというアミノ酸の一種を分解する酵素だ。「アルギニンは苦みの要因になります。この酵素によって苦み成分が除かれています」と太田さん。低温で酸性という環境で働くアルギナーゼは珍しいという。
大七酒造は2001年から約10年かけて社屋と蔵を新造した。最も腐心したのは微生物がすみついた環境をそのまま移すこと。最初はビン詰め工程など微生物にあまり関係のないところから移転し、麹(こうじ)室、生酛室(酒母室)へと進めた。「微生物相を特に守りたい生酛室は最初の数カ月、新旧の蔵を並行して稼働させました。古い蔵から壁板をはがして持ち込むなど、考えつくことはすべてやりました」
蔵の新造では基礎工事などで水脈を傷つけないよう、注意もした。創業以来使う4本の井戸は深さ10メートルほどの浅井戸で、安達太良山の伏流水が源流になっている。「調べてみると4本とも異なる水脈で、仕込み水に使う井戸は地層の尾根のところから湧き出す上質なものでした」
もっとも、創業以来、生酛一筋というわけではないらしい。速醸酛の普及活動が始まった明治期、当時の社長だった8代目当主の太田七右衛門貞一氏は講習会に出かけ、技術を習得して、速醸酛で品質のいい酒を造ったという。しかし、「(速醸酛の酒は)弱々しい。理想の酒ができない」と早々に見切りをつけ、生酛づくりに回帰した。「8代目は『大七』の酒銘の生みの親で、当社にとって中興の祖です。このときの決断がその後の大七の進む道を決めました」
8代目は太田さんの運命を決めた人でもあった。太田さんは高校卒業後、東京大学法学部に進学した。後に東大総長を務めた佐々木毅氏のゼミに入り政治思想史を勉強した。「卒業が近づくにつれ、大学院に進んで研究を続けたい気持ちが強まりました。でも祖父の一言で、実家に戻る決断をしました」
16歳から酒造業の当主の責任を負わされ、家業を発展させた8代目は弱音を吐くような人物ではなかった。その8代目が80歳を前にして、卒業後の進路を決めようとする太田さんに「いつまでも待てない」とつぶやいたという。「とても重い言葉でした」と太田さんは振り返る。
速醸酛の普及にあらがうように生酛づくりにこだわり続ける大七酒造。こうした特徴がほかにもある。例えば精米技術だ。精米歩合が注目される中で、精米の形に着目した。きっかけは「扁平(へんぺい)精米」についての論文だった。東京国税局鑑定官室長を務めた斎藤富男氏が1993年に発表した。
精米の目的はコメの周囲を覆う雑味成分を取り除くこと。精米歩合を上げて周囲を削り、中心の心白部分だけを残せば雑味のない酒ができるはず、というのが通常の考え方だ。ところが、コメ粒を球状に削っても、雑味の原因は完全に除去できないのではないか、というのが論文の問題意識だ。
「球状に削っていく以上、長辺の部分、出っ張った部分から削ることになります。コメの長さは短くなりますが、厚みは変わりません。この部分に雑味の原因成分が残るのです」。大七酒造は論文発表から2年後、扁平精米で造った酒を商品化してみせた。心白だけを残す精米。そんなことができるのだろうか。(図解参照)
扁平精米をする際、精米機に特別な仕掛けはないという。「砥石へのコメの当たり方を制御します。砥石を高速で回してコメをランダムな角度で当てると出っ張りから順に削れます。逆に砥石を低速回転させて、コメが踊らないよう密に詰め込んで砥石に当てれば玄米の形状に近い形に削れます」。この削り方は職人技で、当時の精米部長は「現代の名工」に選ばれたそうだ。
扁平精米は進化を続け、超扁平精米という心白だけをきれいに残す技にたどり着いた。砥石を低速回転させるから、精米には時間がかかる。それをいとわなかったからこそ確立した技術といえる。「精米歩合50%の超扁平精米の方が35%の球状精米より雑味成分が除去できている、という精米機メーカーのデータもあります」と胸を張る。
「精米歩合とかコメの品種とかに焦点を当てると違いを示しやすいですが、味を決めるのは、材料より造り方によるところが大きいのです」と太田さんは強調する。約15人の醸造スタッフが5000石(一升瓶50万本)を生産する。それぞれの工程で、こだわりは徹底している。コメ粒は不ぞろいがないよう、精米前により分ける。蒸す工程では、いまは珍しい和釜をあえて使う。
「和釜ははじめは湿った蒸気でコメに水分を供給し、高温になると乾いた蒸気でコメの表面を乾燥させます。コメの内部と表面で含水状態の異なる蒸し米ができる。この蒸し方は和釜でないとできません」。和釜は直径1.5メートル、重さ1.4トン。厚さ12ミリメートルの鋳鉄でできている。鋳物技術の伝承が危うい中、岩手県南部地方に作り手を探し当て、2つ特注した。
原料米は山田錦と五百万石の2種類しか使わない。「違う品種を一緒に甑(こしき)に入れて蒸せば、それぞれが理想の蒸し上がりにはなりませんから」。品種が多くなると蒸し上がりの質の均一化が難しくなり、麹造りに影響を与える。各工程で払う細心の注意が次の工程の礎になっているのがよくわかる。
太田さんの次の挑戦は純米酒の魅力を伝えること。純米大吟醸、純米吟醸、純米と並べると、値段が高い順であり、おいしい順であると思われがちだ。しかし、太田さんは言う。「大吟醸と純米とでは、求めるおいしさが異なります。ぜいたくに時間とコストをかけた高級純米酒があってもいいのではないでしょうか」
この思いを具現した商品がすでにできあがっている。木桶(おけ)仕込みの「楽天命」だ。「生命力があり、正統派の酒です。いま販売しているのは2009年産のコメで仕込みました。10年たってもまだ熟成していて、成長力がすごい」。凝縮した丸みに、ほんのり木の香りをまとい、柔らかさの中にも強い個性を感じさせる。
木桶仕込みを復活させたのはフランス・ブルゴーニュ地方で「ロマネ・コンティ」の醸造所を訪れたときに触発されたからだという。「150年使った木桶を数年前、新しい木桶に取り替えた」と聞いて、ロマネ・コンティは最新鋭のステンレスタンクではなく木桶にこだわるのか、と驚いたという。「帰国してすぐ、木桶の復活を決めました。想像を超えてうまくいきました」
世界標準の醸造酒を目指して、大七酒造は立ち止まらない。
(アリシス 長田正)
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