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福島・大七酒造 天ぷらにも合う力強さは時間が醸す ぶらり日本酒蔵めぐり(10)

2019/4/13

100年後まで見すえて新造した新社屋(大七酒造提供)

生酛づくりも、時間がかかる。300年以上の歴史を持つ生酛に対して、明治期以降、普及した造り方が「速醸酛(そくじょうもと)」だ。速醸酛は醸造工程で酒を腐らせてしまう失敗を減らすために考案された。乳酸菌を添加することで、酒のもととなる酒母づくりにかかる時間を半減させた。速醸酛では2週間で終わる酒母造りに、大七酒造では1カ月かかる。

生酛づくりでは、蔵にすみついている乳酸菌が繁殖し働き始めるのを待つ。初期段階の酒母には空中のさまざまな菌が混在する。そこから菌の淘汰が起こり、最終的に乳酸菌が他の菌を死滅させる。乳酸菌が天下を取ったところで、他の菌には弱いが乳酸菌には強い酵母が働き始め、アルコールを生成する。この一連の過程を自然に任せるのが生酛づくりだ。

菌の淘汰で弱い乳酸菌は敗れ去り、強い乳酸菌だけが生き残る。二十数年前、大七酒造の乳酸菌から「酸性アルギナーゼ」という酵素が発見された。アルギニンというアミノ酸の一種を分解する酵素だ。「アルギニンは苦みの要因になります。この酵素によって苦み成分が除かれています」と太田さん。低温で酸性という環境で働くアルギナーゼは珍しいという。

大七酒造は2001年から約10年かけて社屋と蔵を新造した。最も腐心したのは微生物がすみついた環境をそのまま移すこと。最初はビン詰め工程など微生物にあまり関係のないところから移転し、麹(こうじ)室、生酛室(酒母室)へと進めた。「微生物相を特に守りたい生酛室は最初の数カ月、新旧の蔵を並行して稼働させました。古い蔵から壁板をはがして持ち込むなど、考えつくことはすべてやりました」

仕込み水をくむ井戸。安達太良山の伏流水である地下水脈を創業以来守ってきた

蔵の新造では基礎工事などで水脈を傷つけないよう、注意もした。創業以来使う4本の井戸は深さ10メートルほどの浅井戸で、安達太良山の伏流水が源流になっている。「調べてみると4本とも異なる水脈で、仕込み水に使う井戸は地層の尾根のところから湧き出す上質なものでした」

もっとも、創業以来、生酛一筋というわけではないらしい。速醸酛の普及活動が始まった明治期、当時の社長だった8代目当主の太田七右衛門貞一氏は講習会に出かけ、技術を習得して、速醸酛で品質のいい酒を造ったという。しかし、「(速醸酛の酒は)弱々しい。理想の酒ができない」と早々に見切りをつけ、生酛づくりに回帰した。「8代目は『大七』の酒銘の生みの親で、当社にとって中興の祖です。このときの決断がその後の大七の進む道を決めました」

8代目は太田さんの運命を決めた人でもあった。太田さんは高校卒業後、東京大学法学部に進学した。後に東大総長を務めた佐々木毅氏のゼミに入り政治思想史を勉強した。「卒業が近づくにつれ、大学院に進んで研究を続けたい気持ちが強まりました。でも祖父の一言で、実家に戻る決断をしました」

16歳から酒造業の当主の責任を負わされ、家業を発展させた8代目は弱音を吐くような人物ではなかった。その8代目が80歳を前にして、卒業後の進路を決めようとする太田さんに「いつまでも待てない」とつぶやいたという。「とても重い言葉でした」と太田さんは振り返る。

速醸酛の普及にあらがうように生酛づくりにこだわり続ける大七酒造。こうした特徴がほかにもある。例えば精米技術だ。精米歩合が注目される中で、精米の形に着目した。きっかけは「扁平(へんぺい)精米」についての論文だった。東京国税局鑑定官室長を務めた斎藤富男氏が1993年に発表した。

精米の目的はコメの周囲を覆う雑味成分を取り除くこと。精米歩合を上げて周囲を削り、中心の心白部分だけを残せば雑味のない酒ができるはず、というのが通常の考え方だ。ところが、コメ粒を球状に削っても、雑味の原因は完全に除去できないのではないか、というのが論文の問題意識だ。

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