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4月1日に発表された新元号「令和」。改元は5月1日

4月1日に発表された新元号「令和」。改元は5月1日

新元号は「令和」(れいわ)に決まった。出典は「万葉集」で「非常に美しい、きれいな元号という最初の印象を持った」という山中伸弥・京大教授(有識者懇談会メンバー)のコメントと同じ感想を持った読者の方も少なくないだろう。一方、初めて「令」の文字を採用するなど、元号史を専門とする研究者を驚かせる新機軸も少なくない。久礼旦雄・京都産業大准教授と京都府教育庁の吉野健一・文化財保護課副主査に聞いた。

※本連載「平成の『先』の時代を考える」のバックナンバーはこちら(日経BizGate)

「令」は元号未採用候補に1つだけ

「正直かなり驚かされた」と、吉野氏は新元号が発表された瞬間を振り返る。まず「令」の文字が、これまで日本の元号に使用された「72字」の中になかった。昭和の「昭」、平成の「成」に続いて、元号の文字にニューフェースが加わった。さらに、中国の漢から清までの元号354に使われた148字の中にも入っていないという。「『令』には良い、素晴らしいという意味がある」と吉野氏。

専門の研究者が注目するのは、「令」が過去の改元論議で提案された、元号未採用案の中ですらも、ほとんど見られない点だ。1回の改元時に、学識者らから提案される元号案は、10を超えることも少なくない。その中から1つが選ばれ、あとは有力な元号候補として温存されてきた。江戸時代以降では、こうした未採用案の中から正式な元号に登用されるケースが約8割を占めるという。これまでに約500の元号候補が確認されているものの、「令を使ったケースは、幕末に論議された『令徳』だけだった」と久礼氏は指摘する。

初登場は14代将軍・徳川家茂の「文久」(1861年)で、京都の朝廷は「文久、令徳、明治、建正、万保、永明、大政」の候補を江戸幕府に送り、幕府からの返答で「文久」が内定した。2度目は尊皇攘夷の動きが全国に広がっていた「元治」改元(64年)。朝廷は令徳・元治を候補として示した上で、特に令徳が孝明天皇のお気持ちに沿う、と伝えた。3年前に比べ、政治情勢の変化を背景に、朝廷が幕府に対して強気に出ていることが読み取れる。

国家理念ではなく永遠の自然との調和うたう

しかし幕府は「令徳は、徳川に命令すると読める」として徹底して嫌った。100年前ならば正面切って反論しただろうが、当時の幕府にそれだけの力はなかった。さまざまなルートで朝廷への政治工作をはかり、結局「元治」に落ち着いた。久礼氏は「朝廷と幕府が対立した過去のエピソードよりも、『令』の持つ意味や読みやすさ・書きやすさに重点を置いた形だ」としている。

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