アート&レビュー

エンタウオッチング

『カツベン!』の周防監督 平成に邦画が復活した理由

日経エンタテインメント!

2019/4/17

平成元年(1989年)に一般映画デビューし、『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』などの大ヒット作を生んできた周防正行監督。平成の時代、日本映画はどう変わったのか。監督人生で感じた思いを振り返ってくれた。

1956年生まれ、東京都出身。高橋伴明、若松孝二らの助監督を経て、84年に『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビュー。89年に一般映画進出し、数多くのヒット作を生む。93年、アルタミラピクチャーズの設立に参加(写真:下村一喜)

ピンク映画を経て、89年に本木雅弘主演『ファンシイダンス』で一般映画デビュー。92年には学生相撲を題材にした『シコふんじゃった。』で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した周防正行監督。96年の『Shall we ダンス?』は全米公開され、ハリウッドリメイク版も製作される快挙を成し遂げた。以降も『それでもボクはやってない』(07年)、『舞妓はレディ』(14年)などの話題作を生んだ。

「僕がデビューした頃は、日本映画の状況が、今とはまったく違いましたね。当時僕は『良い映画はあるけど、面白くて楽しい映画がない』という言い方をしていました。良くできたエンタテインメント映画が本当になかった。興行成績も今からすると信じられないぐらい落ち込んでいて、洋画に太刀打ちできない。伊丹(十三監督/『マルサの女』など)さんが『ハリウッドの娯楽作品に負けない日本映画を』と、孤軍奮闘している状況でした。撮影所システムも崩壊していて、どうやったら監督になれるのかも分からない。新人監督が1人デビューするだけで、『事件』になった時代でしたね。

そういうなかで、ようやく企画が通った一般映画デビュー作が『ファンシイダンス』でした。でも僕は『少女マンガ原作、アイドル主演』となって、『もうダメだ』と思ったんですよ。『またいつものつまんない日本映画のパターンだ』と思われると。実際に仕事をしたら本木さんは素晴らしかったので良かったけど、公開館数は少なく、興行的な成功はハナから見込めない。だから前売りも自分で1000枚近く売りました。その頃、知り合いのパーティーで『券を買ってください』と言ったら、ある女性に『日本映画になんかお金払うわけないじゃない!』と罵声を浴びせられたんですよ。まるで僕がつまらない日本映画の代表みたいに(笑)。それぐらい、当時の状況はひどかった」

■デジタルとシネコンの出現

『ファンシイダンス』で評価を受けた周防監督。しかし親交の深い伊丹監督からは「内に閉じていて、良い意味でも悪い意味でも日本映画」との批評を受けたという。

「『メジャーな娯楽作品として勝負する映画じゃない。こういう映画を作ってたら洋画に負けちゃうね』ってことですよ。そりゃあ、そうですよ。そういうつもりで作ってないから(笑)。でも悔しくて、『だったら、誰にでも分かる王道の、笑える娯楽映画を作ってやる』と企画したのが、『シコふんじゃった。』でした。

学生相撲を題材にしたのは、僕が見て面白かったし、驚いたから。学生とはいえ体の大きいセミプロが相撲していると思っていたら、その日初めてまわしを締めた学生が、国技館の土俵に上がっていたんです。しかも一番弱いリーグを見ると、笑っちゃうような相撲が展開されている。なぜ素人を土俵に上げてまで相撲部を続けるのかと聞くと、OBが『自分たちの帰る場所がなくなるから』と言う。そういう日本的な考え方が背景にあるところも面白いと思いました。それですぐに相撲版『がんばれ!ベアーズ』にしようという発想になり、『シコふんじゃった。』というタイトルもすぐに浮かんだんだけど、面白いタイトルと言ってくれたのは広告業界の人くらいでしたね。映画業界の人たちには『はっけよい!』がいいとか反対されて。『だからダメなんだよ! 日本映画は』と思いながら作ったんです」

アート&レビュー 新着記事

ALL CHANNEL