平成の映画興収はジブリが席巻 1位はあの宮崎アニメ

日経エンタテインメント!

平成の映画興行収入ランキングで1位となったのは宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』。スタジオジブリのアニメはトップ30に5本がランクイン。平成の映画界を支えた人気ブランドだった。

日本映画製作者連盟のデータに基づき、編集部作成。1999年以前の配給収入のみ発表作品の興行収入は編集部計算。※2019年2月11日時点

1989年(平成元年)、映画館の年間観客動員数は1億4357万人で始まり、90年に1億4600万人とやや上向いたものの、以降は年々減少。96年に1億1957万人の過去最低を記録する。その後は回復し、16年に平成で最高の1億8019万人を記録。17年は1億7448万人、18年は1億6921万人と好調を維持している。

映画界が復活を果たした原動力がシネマコンプレックス(シネコン)だ。93年、日本初のシネコン、ワーナー・マイカル・シネマズ海老名が神奈川県海老名市に誕生する。ワーナー・マイカルの成功を見て、他の外資系企業や国内の興行会社もシネコン建設に乗り出す。郊外や地方都市など、それまで映画館のなかった地域を中心に建設ラッシュが続き、04年にはシネコンのスクリーン数が既存映画館数を超えた。18年現在、全国の映画館スクリーン数は3561、うち3150がシネコンだ。

平成に入り普及したレンタルビデオも映画界復活に一役買った。映画館とテレビ放映でしか楽しめなかった映画に、レンタルビデオという視聴スタイルが加わり、消費者が映画を見る回数が増加。映画館へ足を運ぶきっかけを作った。

テレビ局がヒット作を連発

98年『踊る大捜査線 THE MOVIE』の大ヒットを皮切りに、テレビ局が映画製作に力を入れ始めたことも映画界復活の要因の1つだ。03年『踊る大捜査線 THE MOVIE2』が興収173.5億円をあげ邦画実写新記録を樹立して以降、06年『LIMIT OF LOVE 海猿』、07年『HERO』などテレビドラマ発の映画が次々と大ヒット。ドラマ発以外にもテレビ局が製作する映画が増えた。視聴率競争で培われた「観客の好みを重視した作品づくり」に加え、自局を活用した一大プロモーションの力もあり、次々とヒット作を生み出した。

平成の興行ランキングで主なヒット作を振り返る。1位は『千と千尋の神隠し』。スタジオジブリのアニメは6位『ハウルの動く城』、7位『もののけ姫』、12位『崖の上のポニョ』、19位『風立ちぬ』と5本がトップ30にランクイン。84年『風の谷のナウシカ』から始まったジブリ作品だが、興行的に大ヒットしたのは89年『魔女の宅急便』から。スタジオジブリは平成の映画界を支えた一大ブランドだ。