チーズたっぷり、ワインに合う イタリアの新感覚料理
昨秋、東京・日本橋に一風変わったイタリア料理店が登場した。「フォカッチェリア ラ ブリアンツァ」。イタリア料理の人気シェフ、奥野義幸さん率いるブリアンツァグループが、日本橋高島屋S.C.の新館にオープンした店だ。
同店の看板料理はイタリア・リグーリア州レッコ町の名物「フォカッチャ・ディ・レッコ」。レッコは地中海に面した州都ジェノバ近郊の小さな町だ。「フォカッチャといえばイタリアのパンの一種でしょ」と思うが、この料理はまるで異なる。写真だけ見ると、平たい生地が丸く広がるピザの一種に見えるのだが、これも不正解。まさに、食べてみなければ分からない料理と言っていいのが、「レッコのフォカッチャ」なのだ。
材料はごくシンプル。小麦粉、水、塩とリグーリア産のオリーブオイル、そしてストラッキーノと呼ばれる酸味の効いたクリーミーなチーズだ。薄い生地を丸い焼き皿に敷き、その上に手でちぎったチーズをたっぷり載せる。最後にまた薄い生地をかぶせ、さっとオリーブオイルをかけオーブンに入れる。こんがり焼き色が付けば出来上がりだ。口に入れると、大きな音が聞こえるほど生地はパリパリ。こうばしい香りと共に濃厚なチーズが舌にからまる。チーズに酸味があるので、さっぱりと食べられるのも特徴だ。
奥野シェフは、日本での修業を経て20代後半にイタリアに渡った。そして、最初に通ったソムリエ学校の同級生の実家である星付きレストランで働く機会を得る。それが、レッコから車で30分ほどの場所だった。
「家族経営の店なので、ワインの試飲会に行くのも近くの海に泳ぎに行くのも一緒で。レッコにもよく連れて行ってくれました。初めてフォカッチャ・ディ・レッコを食べた時は、素直に『うまい!』と思いましたね」と奥野シェフ。イタリア全州で料理を学ぶという経験値から生まれるアイデアは山のようにあるとシェフは言うが、そうした引き出しの中から、年齢層が幅広く買い物が主目的の高島屋の客に喜んでもらえる料理は何かと考えた時、フォカッチャ・ディ・レッコがぴたりとはまるのではないかと思ったと言う。「引き出しにある僕の経験の中でも、めっちゃよかったものの一つなんです」
店により生地の厚さは異なるようだが、同店の生地は上下とも紙のように薄い。生地に挟まれたチーズは、上からかぶせた生地の表面にもとろりと溶け出す。蒸気を逃がすため生地のところどころに手で穴を開けているからだ。しかも同店では、生地の上にさらにチーズを載せて焼く。「チーズの割合が生地より多いので、チーズそのものを食べている感じなんです」とは、現地に研修に行った同店料理長・若林淳さん。「だからお酒に合う。特にワインにすごく合うんです」
「ストラッキーノチーズには『疲れた』という意味があって、本来は朝、牛を放牧に行く前の乳と、農場に帰ってきてからの乳を混ぜて作るんです。すると、濃厚なチーズができる。ただ、今ではイタリア産チーズも生クリームを混ぜたりして、そこまで手をかけていないものが多い。うちでは、イタリア産を使う以外に、日本の生産者に従来の方法で作ってもらったストラッキーノを使ったこの料理も出しています」(奥野シェフ)。その生産者とは製品の入手が難しいことで知られる吉田牧場で、同牧場のストラッキーノはこの店でしか食べられないそうだ。
「フォカッチェリア ラ ブリアンツァ」では、フォカッチャ・ディ・レッコを単品料理で出すほか、ランチセットやビュッフェコースの1品として組み入れる。あらかじめ切り分けたものを出す平日ランチセット以外は、人数に応じて直径35~45センチのフォカッチャ・ディ・レッコをどんと席まで運んでから切り分ける。「最初はこんなに食べられないとおっしゃるお客様もいますが、シニアの方でも『食べられちゃったわ』とびっくりされます」と店長の鈴木真由美さん。ジェノバ名物のバジルのソース、ジェノベーゼや生ハム、ルッコラなどさまざまなトッピングも用意されており、「味変」も可能。半分だけトッピングすることもでき、7割の客が好きなトッピングを頼むと言う。
「生地が薄いだけでなく水分含有量が多いので、ピザに比べて粉の使用量は数分の1しかない。ローカーボ食でもあるんです」と奥野シェフ。体形が気になる人にはうれしい話だ。
実はこのフォカッチャ・ディ・レッコを店名にまでした店がある。東京・成増のイタリア料理店「フォカッチャ ディ レッコ 500(チンクエチェント)」だ。オーナーシェフは岩井文芳さん。27歳の時イタリアに渡り、「日本人のいない場所で修業したい」と仲介業者に頼んだところ紹介されたのがレッコの星付きホテルのレストランだったという。
岩井シェフは同地で三つ星ホテルの「ダオ・ヴィットーリオ」や四つ星の「ラ・ヴィラ・マヌエリーナ」のレストランで修業をした。ホテルのレストランなのに、最初に「これがうちの名物だよ」と言って出してくれたのが、薄い生地でチーズを挟んだ料理だった。
「素朴な料理なのに、地元の人に愛されるだけでなく、世界中の人がこれを食べに来るんです。この町ならではの料理なので、プライベートジェットに乗ってくる人もいるとレストランの人に聞きました」(岩井シェフ)。同地ではレストランから総菜店まで、ありとあらゆる業態の店にある料理で、レストランで食べる場合は、パスタのように前菜と主菜の間の「プリモピアット(第一の皿)」として出されるという。
「フォカッチャ ディ レッコ 500」の生地は、「フォカッチェリア ラ ブリアンツァ」とは異なっている。薄くパリっとした上の生地に対し、下の生地が厚めで食感がしっかりしているのだ。「上の生地は薄く伸びる作りたてのものを使いますが、下は焼き皿からはみ出した生地を切ってまとめておいたものを使います。水分量が変わるので、しっかりとした生地になるんですよ。新しい生地だけを使う店もありましたが、私が修業した店はどちらもこうした作り方をしていた。トッピングも、働いていた店では1週間に1、2組程度しかオーダーするお客様がいなかった。だから、うちではシンプルなフォカッチャ・ディ・レッコを食べてもらいたいと思っているんです」(岩井シェフ)。ちなみに小麦粉は現地の店でも使っていた、グルテンの含有量が多いマニトバ粉を使う。「香りがよくて、伸びがいいんですよ」
同シェフがこだわるのは、上の生地に開ける穴の数。これが多いほど水蒸気の逃げ道となるため、パリッとした中にもしっとりとした部分が生まれ、バランスのよい食感に仕上がるという。修業した2店でも作り方は異なり、同店は穴数の多い「ダオ・ヴィットーリオ」流。ごくシンプルな料理に思えるのに、どうやら店の数ほど作り方は異なるらしい。
岩井シェフはフォカッチャ・ディ・レッコを日本だけでなく、アジア圏に広めたいと夢を抱く。国内では、既に多方面から問い合わせがあるという。夢は今、大きく羽ばたこうとしている。
(フリーライター メレンダ千春)
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