男女の平等という課題解決には、さらに先があります。この課題に真剣に向かい合うと、さらに立場の弱いマイノリティーの存在にも気がつくようになります。数が少ない人々が理由もなく我慢を強いられる社会への疑問も生まれます。このコラムを読んだ若者たちが、これをきっかけに米国の法律「タイトルナイン」とそれがもたらした変化に関心を持って、検索して、日本の社会をどう変革していくべきか、そんなイメージを持ってくれたらと思います。

もちろん、大学スポーツへの女性の参画率が上がればリーダーとして活躍する女性がすぐに続々と誕生するわけではないでしょう。ドームはスポーツ好きが集まる会社なので、女子社員の7、8割が大学の運動部出身、高校まで含めればほぼ全員がスポーツを経験しています。ただ、リーダーとしての資質をみれば、明確な男女差があると感じています。
真の男女平等へ法律の整備を
そこには高校や大学の部活動における男女のヒエラルキーとか、複雑な問題が絡んでいると思っています。そうなってしまう要因がどこかにあるわけです。まずは部活に参加している個人が、タイトルナインを学び、今すぐ改善できることをすることだと思います。同時に、国としてスポーツが人を成長させる価値をきちんと定義し、高校や大学で男女がスポーツに平等に参画できるように法律や制度を整備することです。阻害要因は徐々に取り除かれ、リーダーの資質を開花させる女性は確実に増えていくでしょう。
少なくとも会社など組織の役員に女性を増やすという、出口で数字の帳尻を合わせる方法より、社会は確実によい方向に変わっていくと思います。
かくいう僕も、学生時代は運動部に入る女性が少ないのは当たり前だと思っていました。「男らしい」のはカッコいい。スポーツこそ男らしさの象徴のように考えていました。でも、タイトルナインを知り、学んでいくことで、そんな自分がとても恥ずかしくなりました。以来「男らしい」という言葉は使っていません。「男らしい」=「カッコいい」という考え方が女性の機会を奪っている。タイトルナインのおかげで、そんな考え方を持てるようになりました。今の僕の方が少しばかり「カッコいい」と、僕は思っています。

(「SPORTSデモクラシー」は毎月掲載します)