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プロ経営者 松本晃の流儀

社外で評価される人になる プロ経営者・松本氏の原点 カルビー元会長、RIZAPグループ取締役 松本晃氏

2019/4/6

売るセンスはありました。自分で言うのもなんですが、僕は「物を売る天才」だもの。なぜそんなに売れるのか。売りたいという気持ちが強いからです。人は買いたい物を買うのではない。買いたい人から買うのです。これはひとつの真理だと思っています。人がポイントですから、お客さんを好きになるしかないんです。

商社にいながら、そのビジネスモデルとは違うやり方で成果を出した

メーカーの代わりに商品を売りに行く、それが商社のビジネスモデルです。僕のビジネスモデルは、お客さんがパーチェイサー(購入者)で僕がエージェント(代理人)という関係です。それで「なんでも私から買ってくれ」とやって成果を出しました。そういう手法の方が好きでした。「自分は何をしているんだ」などと疑問に思ったことはなくて、仕事は「売り子」と割り切っていました。楽しくて仕方なかったなあ。

米国の農業機械ビジネスは、ゼロから立ち上げて相当増やしました。当時の本部長が「松ちゃん、もういいんじゃないの」と言うので、「いいですよ」と答えた。すると「センチュリーメディカル」という医療機器販売の子会社へ出向という辞令が出ました。

■不振の子会社へ出向 時機が味方に

業績が悪く、いつ潰れてもおかしくない会社でしたが、僕が入ったタイミングがよかった。ひとつは円高です。1ドルが240円くらいだったのが100円になり、米国の製品が日本でよく売れて、それはもうかりました。もうひとつはイノベーション(技術革新)です。1980年代の後半から2000年にかけ、すさまじいスピードで医療機器の性能が上がり、莫大な需要が生まれつつありました。経営を数年で立て直し、グループ有数の優良会社に育てることができました。僕は「勝ち馬」にしか乗りませんよ(笑)。

センチュリー社は伊藤忠のように大きな組織ではなかったから、社長は経営のほとんどを僕に任せてくれ、自由に腕を振るうことができました。僕が打ち出したのは、要するに売れない機械を全部やめて、売れる機械を新しく導入すること。つまり時代の波に乗ろうとしたのです。それが見事に当たったのです。

商社の出向は、基本は5年ぐらいです。そう厳密な決まりでもないのですが、6年いても本社から何も言ってこない。どのみち45歳で辞めようと思っていましたから、サヨナラしたわけです。

給料の多い少ないなんて、サラリーマンではたかが知れています。むしろ若い頃から成功することに非常にこだわっていました。成功する人間は、誰かが(その能力や才能を)買いに来ます。だから私は、外の人から買われる、評価される人間になりたかった。それで伊藤忠をやめたのです。

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