国際派ソニー会長の意外な後悔 「もっと海外体験を」
ソニー会長 平井一夫氏
日本を代表する多国籍企業、ソニーの社長を6年務めた平井一夫会長。このほど、ソニーからの「卒業」を明らかにしたばかりだ。堪能な英語を生かしたプレゼンテーションの巧みさから、世界から「カズ」と親しまれている。猛烈に働きつつも、「会社だけが人生じゃない」とどこかひょうひょうとした雰囲気を醸し出す58歳。2018年に社長の座を譲ってからまもなく1年がたとうとしている今、20歳の自分と読者へのメッセージをお願いした。
20歳の私日本と海外を行ったり来たり。「人生を振り回されるのはこりごり」と米国から単身帰国し、国際基督教大学(ICU)に通う。英語を生かしたアルバイト代を車4台につぎ込む
今思えば海外に住めたのはラッキーなのですが、銀行員の父について日本と海外とを行ったり来たりする生活にこりごりでした。高校3年生で米国から単身、日本に帰国し、東京・調布のアメリカンスクールに通いました。同級生はほとんど米国の大学に進み、現地企業に就職しましたが、日本人として日本で生きていきたかった私は、国際基督教大学(ICU)に進学しました。
ICUの学生は人種、国籍、年齢、宗教さまざまで、ダイバーシティ化が進んでいました。授業で「結論はこれしかない」と思ったような議論でも、バックグラウンドの異なる人がたくさんいるので全く違った視点の意見が出てくる。そこで学んだのが、英語で言うと"agree to disagree"つまり「あなたの言っていることには賛成しないけど、言っていることは分かる」ということ。色々な意見を聞いて、なるべく正しい情報を得た上で判断する姿勢が身につきました。これはマネジメント職になって大いに生きました。
学校を離れると、アルバイト一色でした。当時は音楽とクルマが大好き。英会話講師や技術書の翻訳でお金をためて、卒業までに車を4台乗り換えました。今思えばアルバイトばかりでなく、もっと広い意味で勉強しておけばよかったなと思います。
就職先は、好きな音楽か車に関われる仕事で絞り込みました。CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)と自動車会社から内定をもらいました。さすがに悩んで父に相談したところ、父は私を座らせて、ビールをついでくれました。そして「車は人生で何十台も買うものじゃない、有限だ。それに対して、音楽はソフトウエアだから無限であり可能性がある」とアドバイスをくれました。とどめに「趣味を仕事にすると、仕事で行き詰まったら助けてくれるものがなくて困るぞ」という助言もあって、CBSソニーに入社しました。
20歳に戻れるなら「もう少し早く社会勉強をしておきなさいよ、平井君」と言ってやりたい
入社して1年半は外国部というところで渉外の仕事をしていました。マネジャーはあまり英語が得意でなかったので、洋楽アーティストらとのコミュニケーションは私の役割でした。ただ、CBS・ソニーの拠点は当時日本と香港にしかなかったので、私の嫌な海外赴任をさせられる可能性は限りなく低かった。それがCBS・ソニーを選んだ決め手でもあったわけですが、なんと入社して4年たった1988年、ソニーがアメリカのCBSレコードを全て買収したのです。商圏が全世界に広がった瞬間でした。94年、私はニューヨークに赴任することになってしまいました。
就職先選びの軸は今やり直せるとしても変わらないと思います。そのときに自分で考えて絞ったわけですから。CBS・ソニーに入社した当初はレコード会社に入ったつもりだったので、将来ゲーム事業に携わるなんて全然考えもしませんでした。結果論ですが、それでもソニーという会社を選んでよかったなと思います。会社がどんどんエンターテインメントの方にフィールドをつくってくれたので、私はその中で動くことができました。振り返って、与えられた仕事は常にチャレンジがあったなと思います。
私は子どもの頃から海外を行ったり来たりする時期が長かったから、20歳のときはもう海外は行かなくてもいいやと思っていたんですね。今思えば、もったいなかったと思います。私が行ったことのある米国とカナダだけが世界なのではない。もっと自分で色々なところに行って、自分で体験して、五感をフルに刺激するような人生経験をしておけばよかったです。
今の時代って、わざわざ出かけなくてもネットが発達しているから、五感を疑似体験できる。行ったことのないレストランでも「おいしい」、見たことのない映画でも「面白い」と客観的に評価する仕組みができているじゃないですか。でもこれは疑似体験。自分で体験しているわけじゃないから、自分の尺度がないまま判断している。だから大事なときに判断を間違える可能性があるので、尺度を持つための原体験を大切にしたいと思っています。「もう少し早く社会勉強しておきなさいよ、平井君」と20歳の自分には言ってやりたいですね。
35歳の時にソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の米国法人の社長になってから、ずっとマネジメントの仕事に関わってきました。18年にソニー本体の社長を退任するまで、20年間も経営陣にいたことになります。現場と比べると、役員はどうしても現実離れしてくる。例えば傘を持たなくなるとか。くだらない例ですが、社員と同じ問題を共有していないということ。大局的に見ればもっと大きい問題ではないかと思っていました。
20歳のあなたへ上昇志向は大いに持つべし。ただし、正しい動機で
今の若い人は上昇志向が弱いといわれるそうですね。給料が上がるとか、単純に偉くなりたいとか、そういう上昇志向はそもそも間違っています。でも正しい上昇志向は大いに持つべきです。たとえば係長になったら自分が持っている小さな事業の方向を変えることができるかもしれないとか、もっとインパクトのある仕事ができるようになるだろうとか。この人は正しい動機づけで動いているな、というのは社会人経験の長い人から見たら分かります。成果が出たら、次はもっと大きい仕事をもらえるチャンスです。
与えられた状況に対して不満があるとか、もっと良くしたいという希望があるなら、他人を頼るより自分で環境を改善した方が早いです。人にお願いすると、人の決定に左右されてしまうから、あまり好きではないです。だから会社に入って「この契約は取れるだろうか」と悩む場面があるでしょうけど、自分のコントロールできないことで悩む必要はないと思っています。
正しい上昇志向と並んで大切にしてほしいことは実際に色々なところに行って、色々なものを見て、自分の感想を持つ、という一連のプロセスを大事にすることです。こうして育てた自分の尺度は、将来を見通す大局観を育てるうえで必ず役に立ちます。
私の場合、06年にプレイステーション(PS)ネットワークを立ち上げたときは大局的に考える必要に迫られました。ゲームをお客さんに配信するプラットフォームを構築するという初めての試みでした。
当時「量販店に大きな痛手になるからゲーム配信はやりたくない」と社内でかなり言われましたが、私はネットワークを作って、秩序あるプラットフォームを整える必要があると信じていました。
私の判断の根拠となったのが、違法ダウンロードが横行していた当時の音楽業界の姿です。音楽の提供者が正当な収入を得られないので、業界全体が瀕死(ひんし)の状態でした。これは対岸の火事ではないぞ、と非常に危機感を覚えました。音楽もゲームも同じソフトだから、ゲーム業界でも違法ダウンロードの問題はいずれ起こるという確信がありました。環境の変化に対応するだけでなく、ソニーが自らディスラプション(創造的破壊)を起こしていく必要がある。こうして立ち上げたPSネットワークは、今やソニーの売り上げの中核になりました。
他の場所で起きている変化がいつか膝元にも来ると思っておけば、大局観を持って判断できます。そのためには自分の尺度を育てることが欠かせないと思います。
社長を退任した今、私はあらためて自分の尺度を育てる活動を大事にしています。平日の昼間に竹下通りを歩いてみたり、出張でしか行ったことのなかったロサンゼルスで新しい場所を巡ってみたり。一つ一つがとても新鮮で勉強になるし、今までこの何十年間も社会人をやってきて、足りなかったところがあったのを実感しています。若い人たちにも、自分のリアルな体験を大切にしてほしいと思います。社長を退任するまではやりたいことを封印してきたので、今はそれを楽しませてもらっています。会社だけが人生ではないですから。
1960年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒。レコード会社のCBS・ソニーに入社し、その後、プレイステーションを手がけるゲーム子会社の米国法人に転じた。会社の主要事業であるエレクトロニクスの経験はなかったものの、12年に社長就任。18年3月期に20年ぶりの最高益を達成して退任した。183センチの長身。
(渡部加奈子)
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