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桜を愛し、明治・大正の日本を世界に伝えた女性記者

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ナショナルジオグラフィック日本版

桜の季節となった。米国ワシントン、ポトマック川岸の桜の多くが日本から送られたソメイヨシノであることを知っている人は多いだろう。が、その陰で1人の米国人女性の尽力があったことは、あまり知られていない。日本を訪れ、人々の生活や明治三陸地震も写真とともに世界に伝えた。その人こそエライザ・シドモアだ。彼女が撮った日本の写真とともに紹介しよう。

◇  ◇  ◇

エライザ・シドモアは1856年、ウィスコンシン州マディソンに生まれた。その後間もなく、一家はワシントンD.C.に引っ越した。母親は下宿屋を営み、エイブラハム・リンカーンからウィリアム・タフトまでの大統領を全員知っていると言っていた。

この人脈は後に、旅を夢見るシドモアの人生を後押しすることになる。1870年代、女性の新聞記者が少しずつ誕生し始めたが、シドモアはその一人だった。19歳のときに初めて「National Republican」紙のコラムを担当し、その後、「New York Times」紙を含むさまざまな新聞に、ワシントンD.C.の社会に関する記事を寄稿した。「E・R・シドモア」や「E・ルアマー・シドモア」という名前で記事を書くこともあったため、多くの読者に男性だと思われていた。

1883年、エライザ・シドモアは、アラスカ行きの郵便船に飛び乗った。ワシントンでの生活にうんざりしていた彼女は、ナチュラリストのジョン・ミューアがサンフランシスコの新聞に寄稿した感動的な風景に心を動かされた。米国は1860年代にロシアからアラスカの地を購入したが、そこを訪れた米国人はまだほとんどいなかった。恐れを知らない27歳の記者兼写真家は、未知なる大地を自分の目で確かめることに決めた。

シドモアが米国の新聞に寄稿したアラスカの記事は人々の心を奪い、当時の偉大な探検家たちに感銘を与えた。それらの記事を1冊にまとめた旅行記(おそらくアラスカについて書かれた史上初めての本だろう)を読んだある批評家は、彼女を「米国で最も優れた女性記者の一人」とたたえた。

アラスカへの旅から戻って数十年のうちに、シドモアはナショナル ジオグラフィック誌の読者におなじみの存在となった。その間、15本の記事を書き、同誌にとって初めてのカラー写真をいくつか撮影した。同誌初の女性記者、女性写真家であり、ナショナル ジオグラフィック協会の理事に選ばれた最初の女性だ。

そんなシドモアは、日本に夢中になった。当時の日本は、西洋からの訪問者に対して門戸を開いたばかりだった。兄が外交官として駐在していたため、日本の社会に入り込むことができた。

シドモアは日本から記事を送るようになった。女性ファッション誌「Harper's Bazaar」では、日本女性の地位の高さを称賛し、当時は家庭向け雑誌だった「Cosmopolitan Magazine」では、急須を紹介した。「American Farmer」誌に寄せた日本の蚕に関する記事では、「細心の注意を払って育てられた貴族のような虫」と記している。

さらにシドモアは、桜を「この世で最も美しいもの」と呼び、ワシントンD.C.に写真を持ち帰ると、ポトマック河畔に桜の木を植えるよう当時のグロバー・クリーブランド政権に嘆願した。

1890年代、スミソニアン協会の前身となった組織がシドモアにコダックのカメラを渡し、インド、日本、中国、インドネシアのジャワ島への旅を記録するよう依頼した。こうして、取材した記事と写真はナショナル ジオグラフィック誌に掲載される。

1914年、「若き日本」と題された特集記事に11枚の写真が掲載された。ナショナル ジオグラフィック誌にとって、ほとんど例がなかったカラー写真であり、自然の色を再現した最初のオートクローム写真も含まれていた。

シドモアは断続的に日本で暮らし、米国の親善大使を務めた。

1928年、72歳のとき、シドモアは虫垂炎による合併症で入院した。彼女は1枚のはがきに、「ちっともよくならず、計画が台無しです」とつづっている。よい患者ではなかったようだ。シドモアを看病していたいとこは「食事も治療も拒絶しています」という電報を米国に送っている。そして1928年11月3日早朝、シドモアは死去した。遺灰は兄と母の墓のあった日本に埋葬された。

残念ながら、ナショナル ジオグラフィックのアーカイブにシドモアの手紙はあまり残されていない。シドモアの死後、彼女の親友が手紙をすべて破棄するよう求めたためだ。現在、シドモアが歴史に刻んだ功績はほとんど忘れ去られている。

しかし、春にワシントンにやって来る人々は、それと知らずにシドモアの遺産を守り続けている。シドモアは1885年に初めて日本を訪れてから30年近く、その間6度交代した政権に対し、ポトマック河畔のタイダルベイスンに桜の木を植えるよう陳情し続けた。1912年、大統領夫人のヘレン・タフトが3000本の桜の最初の1本を植樹したとき、シドモアも立ち会っている。

現在、毎年150万人の観光客がタイダルベイスンの桜を見にやってくる。大統領夫人だったエレノア・ルーズベルトは「Reader's Digest」の記事で次のように述べている。「この素晴らしい光景を見ると、いつも思い出します。エライザ・シドモアという1人の米国人のエネルギーとビジョンへの感謝を」

次ページでも、シドモアが撮った、彼女が愛した日本と100年前の日本人たちの姿を紹介しよう。

(文 Nina Strochlic、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2017年2月28日付記事を再構成]

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